「居眠り磐音 江戸双紙」原作とドラマとの違いを考察

佐伯泰英氏の大ベストセラー「居眠り磐音 江戸双紙」の文庫45巻および別冊の3巻を速読だが読了した。無論もう一度最初からじっくりと読みはじめているが、その感想と過日ご紹介したNHKドラマ「 陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙」も第3シリーズ全て観たことでもあり、双方を比較して気がついた点を記してみたい。


テレビドラマと小説はそもそも表現手段として多くの違いが生じるといわれる…。一瞬で言わんとすることを伝えることが可能な映像とじっくり文字面を追わなければ意味が伝わらない小説とは別物というわけだ。
無論その違いはわかるし、例えば当該小説のようにロングセラーの内容を数回あるいは十数回のドラマにそのまま仕立てるわけにはいかないのは当然だ。したがってとある事件や出来事の伝え方や表現方法も変わってくるであろうことは理解できるが、問題は登場人物のキャラクター設定とストーリーに関しては基本的に原作に忠実であるべきだと常々思っている。

これまで多くの映像化されたドラマを観たが、原作のストーリーの根本を変えてしまうようなものは個人的には許せない…。しかしNHKの「ドラマ 陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~」はそうした点においてはまずまず安心して楽しめる作品だと思う。
役者たちの魅力もさることながら基本的に原作に忠実な点が評価され、それがテレビドラマとして異例とも言える第3シリーズまで続いた大きな理由ではないだろうか。
また私のように映像を見たのが最初で、後に原作を読むという人も多いかも知れないが、その面白さは小説を読んでいても登場人物達がドラマのままに動き出すことだ(笑)。

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※NHKドラマ「 陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙」全DVDと現時点で発売されている「居眠り磐音 江戸双紙」の文庫全45巻および別冊の3巻


「居眠り磐音 江戸双紙」でいうならドラマの印象をリセットしようにも坂崎磐音は山本耕史の姿であり、おこんはあくまで中越典子、今津屋の由蔵は近藤正臣で金兵衛は小松政夫、そして南町奉行所筆頭与力の笹塚孫一は佐藤B作、磐音の剣術の師匠である佐々木玲圓はどうしても榎木孝明の姿でなければならない(笑)。
それらは確かにすり込まれた印象に違いないが、逆に考えてみるとこのテレビドラマのキャスティングは的を得ていると思う。ただし原作を読み進めていくと主人公の坂崎磐音のイメージは次第に山本耕史の姿から遠ざかっていくのも事実だが…。

もともと私は俳優そのものにほとんど興味がないのでこれは決して好き嫌いの問題ではない。テレビドラマの第1シリーズから第3シリーズおよびスペシャル2編における山本耕史演じる坂崎磐音にも特に違和感を感じたわけではないが、原作で佐々木玲圓の養子となり田沼意次の黒い策略が見えてくる段になってくると、個人的な印象ながら坂崎磐音という剣客は山本耕史より線の太い人物としてイメージが変化していった。

さて、多くの場合に原作が小説にしろマンガにしろ、テレビドラマ化したものとを比べるとドラマの粗が見えてくるものだ。TBSの「仁~JIN」もそうだったしNHK「酔いどれ小籐次」も少なからずそうだった。
しかし「ドラマ 陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~」は原作を読んでから振り返ると生意気な物言いになるが綻びが目立たない出来だと感じる。脚本がよくできているのだろう…。

楽しめるのは原作のキャラクタがドラマでも違和感なく表現されていることだ。ただし第3シリーズの雑賀衆頭領を除いて…(笑)。
また第1シリーズから第3シリーズにわたり、原作の膨大な内容を巧くミックスしている。当然小説は作者の腕しだいで登場人物もいくらでも多彩にできるし壮大なストーリーだって思いのままだ。
しかしテレビドラマは制約が大きい。限られた時間枠そして予算の中でどうストーリーを展開させ登場人物を配するかという工夫も必要だし、なによりも大規模なロケや大人数を用意したシーンを気軽に実現できるはずもない。

したがって例えば、原作には将軍徳川家治が日光社拝(日光東照宮参詣)時に、世継ぎの息子である徳川家基もお忍びで別行動させるシーンがある。その際将軍の御側御用取次の速水左近に依頼され坂崎磐音が家基警護のため同行することになる。ただしそのシーンをテレビドラマで延々とやるわけにはいかないから、そこは独立した鷹狩りのシーンに描き直している…といった具合だ。
同じ意味で登場人物もドラマではコンパクトになっている。例えば今津屋のシーンだが、原作では支配人の林蔵という人物も登場するが、ドラマでは元締と称する由蔵(奉公人のトップ)の活躍に変わっているし、奉行所の役人といえば笹塚孫一にほとんどの役割を背負わせている。

まだある…。地蔵の親分と呼ばれる御用聞き竹蔵はドラマでは地蔵湯の娘婿という設定だが、原作では蕎麦屋の主でもある。とはいえ湯屋の2階で様々な人たちが話し合うという都合の良いストーリーに合わせ(笑)、設定を変えたのは自然でもあるし原作でも銭湯のシーンは欠かせない。
さらに磐音が絡まれ斬り合いになったとき、見物していた武士から「お見事!」と声が掛かるが「見届けた」と後日なにかあったら証人になると申し出たのは御小姓組、赤井主水正と名乗る人物だが、ドラマでは将軍の御側御用取次の速水左近となっており、後に佐々木玲圓の道場で出会う序となっている点も違和感がない。

磐音とおこんの出会いも原作とドラマではまったく違う。ドラマでは磐音とおこんが初めて出会うのは両国橋だが、原作では長屋の大家、金兵衛に連れられて向かった両替商の今津屋で出会うことになっている。しかしドラマのプロットはなかなか素敵でかつ巧妙だ。
2人にはこの両国橋と大八車の往来が欠かせないもののようだ(知らない方には意味不明だろうが…)。ドラマは橋の上で出会ったことからおこんの父親が差配をしている金兵衛長屋にやっかいとなるという急展開となる。

両国橋は現在の場所とは50mほど位置が違っていたそうだが、江戸市街と本所地域を結ぶ大橋と呼ばれていたそうだ。その後、本所が下総国に属し、武蔵国と下総国を結ぶ橋として両国大橋…そして両国橋と呼ばれるようになったという。
そしてこの両国橋は磐音とおこんの出会いの場所でもあり、その近くに今津屋があったことから物語の中心にもなっている。さらに作者の佐伯泰英氏は磐音たちの帰着準備号として書き下ろされた「橋の上」のまえがきに「いつの日か、この長大なシリーズが完結したとき、最後の情景は両国橋のシーンでなんとなく終わるような気がしている。」と書いている。

実は原作でも橋の上で磐音が手を合わせているところにおこんが通りかかり、はじめて2人だけで言葉を交わすシーンがあるものの、このシーンの演出を変えてドラマの冒頭に使ったわけだ。
そんな感じに限られた登場人物で原作のストーリーをコンパクトにまとめているのは見事だと思う。ただしそれ故に見るものへの説明不足があったりもしてストーリー展開の意味が分かりにくいところもあるが、まあご愛敬といったところか…。

ところで武家ではなく長屋などに住む人たち、それも女性の名前に関して疑問がある…。
「居眠り磐音 江戸双紙」には当然沢山の女性が登場するが、その代表格は勿論 "おこん" である。その "おこん" の名を普通に考えるなら "おこん" の "お" は丁寧、尊敬の接頭辞または愛称的なものと考えるべきではないだろうか。したがって他人が呼ぶ場合には "おこん" あるいは "おこんさん" ということで間違いはない。
しかし佐伯泰英氏の原作では父親の金兵衛自身が娘を呼ぶ際に "おこん" とか "うちのおこんは…" という言い方をしている。勿論名前が "こん" ではなく "おこん" といったふうに実際に "お" が付いているケースも無かったわけではないようなのでややこしいが、ともあれ一般的に考えればやはりおかしいのではないか。

原作には他にも “おしげ” とか”おまつ” “おみつ” といった女の名が登場するが、語り口は「しげが頷くと…」ではなく常に “お” が付き「おしげが頷くと…」に統一されているようだ。まあ “お” を付けた方が語呂がよいのは確かだが。
しかしテレビドラマでは前記したように初めて磐音と会った際に "おこん" 自身はさすがに「こんといいます」と自己紹介していることでもあり、細かなことだが気になってしかたがない(笑)。

また "おこん" は町娘だったが磐音に嫁ぐ際に武士である速水左近の養女になってから嫁いだ。こうした点は現在の価値観ではどうでもよいことのように思えるが、町人が武家社会に嫁ぐということは実に大変なことだったのである。問題はそうしたときは名前も変えるのが一般的だとどこかで聞いたことがあったが、「居眠り磐音 江戸双紙」では "おこん" の名は変わっていない。

こうした名前の呼び方についての疑問は同じ佐伯泰英氏の人気時代小説「酔いどれ小籐次留書」にもいえることだ。
絶世の美女で歌人、そして赤目小籐次に思いを寄せる女性 "北村おりょう" だが、自己紹介するときも「おりょう」と言っている。ただし小籐次と同じ長屋に住む少女 "お夕" は自己紹介するとき自分で「夕です」と言っている…。
また "おりょう" の住む望外荘で働く "あい" は作中 "おあい" と呼ばれることはないし、野菜売りで生計を立てている "うず" という娘も「うずさん」と呼ばれているもののやはり "お" がついたことはないようだ。
となれば "おこん" や "おりょう" という名前はそのまま素直に "お" を含んだ名前なのだと考えるべきなのだろうか?
まあエンターテインメントに理屈を持ち込んでは野暮だと笑われようが、これまた気になる…。

それから別の楽しみも味わうことが出来た。それは別冊「吉田版『居眠り磐音』江戸地図 磐音が歩いた江戸の町 (双葉文庫)」による江戸地図の神田付近を眺めていて気がついたことだ。

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※「吉田版『居眠り磐音』江戸地図 磐音が歩いた江戸の町 (双葉文庫)」による江戸地図とパッケージ


原作にも幾たびか登場する神田三崎町の神保小路付近にあったとされる直心影流尚武館佐々木道場だが、よくよく地図を眺めてみるとこの付近は私が1977年から1988年まで勤務していた小さな貿易会社のあったあたりなのだ。要するに古書店街として知られている神田神保町、三崎町、駿河台エリアは日々通っていた場所なのだった…。何しろ当時はJR御茶ノ水駅から駿河台までを右手に明治大学沿いに下り、靖国通りを神保町交差点まで日々通勤していたのだ。
無論史実としての話ではなくあくまで「居眠り磐音 江戸双紙」に登場する場所としてのことだし、現在の道路の位置や幅がそのまま磐音の時代と同じであるはずもないが、神保町交差点を中心とした付近は足かけ12年間仕事で歩き回っていた場所だったのである…。そうした事実を知って本編を読み進むと何だか実と虚の世界がオーバーラップしているようであたかもタイムスリップしているような錯覚に陥り楽しい(笑)。

この三崎町から駿河台にかけては武家屋敷が建ち並ぶ一帯だったそうで、佐々木道場や豊後関前藩上屋敷もここにあるし猿楽町方面には速見右近の屋敷もあった。なおこれまた別冊「橋の上〜居眠り磐音 江戸双紙・帰着準備号 (双葉文庫)」によれば、もともと駿河台付近には神田山という小高い丘があったものの、海を埋め立てるために切り崩され、跡地は徳川家康に従って駿府にいた譜代の家臣たちに与えられたという。そこから神田山の周辺は、駿河衆の台地という意味で駿河台と呼ばれるようになったという。

さらに余談ながら文庫本カバーの絵が素敵である。イラストレーションは蓬田やすひろ氏の作品だが、あいかわらず気品のある素晴らしい味わいを見せており、もし機会があったら是非原画を見てみたい…。

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※「居眠り磐音 江戸双紙 43 〜 徒然の冬」のカバーイラスト。蓬田やすひろ氏の作品だが、毒矢により意識を失っている霧子を迎える磐音や門弟達の姿が描かれている


この一篇の時代小説から受ける様々な刺激は実に心地よいものである。



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員