Appleとスティーブ・ジョブズの伝説はここから始まった

今日10月5日は早いものでスティーブ・ジョブズ氏の一周忌にあたる。まだまだ彼の存在は忘れがたく…メチャ好調なAppleではあっても「もし、ジョブズが元気でいたら」という無い物ねだりで新製品やAppleの動向を眺めている自分を発見している。今回は1976年12月号として発刊された「73 AMATEUR RADIO」マガジンを入手した。そこに若かりし頃のスティーブ・ジョブズの写真が載っていたからだが、ジョブズの一周忌にちなんで創業間もないAppleとジョブズの姿を追ってみたい…。                                                                             

Appleのスティーブ・ジョブズ氏の若かりし頃に撮った写真のいくつかはジョブズウォッチャーであればよくご存じだろう。その多くはウォズと一緒の写真が多い。それらの写真がどのような目的のために撮られたのかは分からないが、例えば1975年あたりに撮影された写真はまだAppleという会社組織もなかった時代だからしてあくまでプライベートだったと推察される。
したがって今回ご紹介する「73 AMATEUR RADIO」マガジンの1976年12月号に載ったジョブズの写真はメジャーかマイナーは別にして、雑誌というメディアに写真入りで紹介された極初期の例ではないだろうか…。

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※「73 AMATEUR RADIO」1976年12月号表紙


「73 AMATEUR RADIO」という雑誌について詳しいことは不明だが、その名称と広告あるいは中身の記事を読めばこの雑誌がいわゆる日本で言うところの「ラジオ技術」や「無線と実験」といった類と同種のもので、ラジオやハム・無線そしてオーディオの最新情報や応用そして自作紹介といった内容のようだ。
ちなみにこの "73" というのは "CQ" と同時にアマチュア無線を象徴する呼び名なのである。アマチュア無線をよく知っている方にはそれこそ釈迦に説法だが、アマチュア無線の交信が「CQ CQ CQ…」で始まり、「73」で終るからだ。要するに "73" は "goodbye" の意味であり交信の最後に送信する。さらにそれをモールス符号で送信すると「--・・・  ・・・--」となり音感が良いので好まれたという。

そして時代の流れはその内容も本号を見るように、表紙にはマイクロプロセッサ、記事にもAltair 8800やApple I といったコンピュータに関することが次第に多くなっていくことが想像できる。事実「73 AMATEUR RADIO」で取り上げたマイコン記事は桁違いの大好評で、読者から熱狂的に支持されたそうであり、「73 AMATEUR RADIO」の編集者は別途マイコン専門誌「byte」を創刊した...。

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※中にはAltair 8800の記事も...


私が手に入れた「73 AMATEUR RADIO」という古い雑誌には1976年8月28と29日の両日、ニュージャージ州アトランティックシティで開催された「PC ‘76 Computer Show」の記事が “I/O EDITORIAL” として紹介され、そこに出展していたApple Computerおよび Apple Iの紹介があるのだ。そして長机に布を被せ、背面にパネルらしき物を掲げただけの小さなブースで21歳のスティーブ・ジョブズがカメラ目線で自信に溢れた表情をしている写真が掲載されている。

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※「PC ‘76 Computer Show」の出展記事にAppleの紹介が載っている


「PC ‘76 Computer Show」に出展したAppleについては以前に「第1回WCCFにおけるAppleブース出展経緯の考察」というアーティクルを書いたが、そこに載せた一枚の写真とこの「73 AMATEUR RADIO」に載っている写真はまさしく同じ開催期間中に撮影されたものに違いないし、十分ではないもののそれらのビジュアルは当時の様子を我々に垣間見せてくれる。
まずブースの様子を見てみよう…。
前記したように背面はカーテンで仕切られ長机に布を被せた貧弱なスペースに木製の自作ケースにキーボードと共に収められたApple I とテレビが乗っている。
テレビの上にはカタログと思われるものが乗っている。そしてApple I の右に見えるのはどうやらカセットテープデッキのようだし、テレビの左には箱に入ったApple I らしきものが置かれている。おそらくケースに入れたものとは別に万一のバックアップ用として、また基板そのものを来場者に説明するためのものに違いない。

ブースの背にはApple I の解説を記した大きめのボードが吊り下げられている。多分にカタログを引き延ばしたものだと思うが、ちなみに本体価格は666.66ドル、カセットインターフェースが75ドル、4K拡張メモリカードが120ドルと表記されていたはずだ。
また上部にはブース番号と思われる “99” という数字と共に “APPLE COMPUTER” と展示名が記したボードが張られているがアップルロゴはまだ存在しない時期だし、ロン・ウェインが作ったという古風な初期ロゴもカタログ裏に使われた記録はあるものの、写真を見る限りそのロゴは飾られていない…。そして当のスティーブ・ジョブズは左手を腰に当て、右腕をテレビの上に置きカメラへ印象的な視線を送っている。

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※Apple Computerのブースとカメラに視線を送る21歳のスティーブ・ジョブズ(上)とジョブズの姿拡大(下)


スティーブ・ジョブズは長髪にひげ面、そして長袖の開襟シャツの腕まくりをしてブースに立っているが、面白いのはこの写真のキャプションである。そこには “This is Steve Jobs, the president of Apple and the chap who designed the system. How many twenty year old computer designers do you know with their own manufacturing firms?” とあり、すでに伝説が始まっていることを臭わせる(笑)。
「Appleの社長」というのは間違いないものの「システムを設計した男」と紹介されているわけだが、無論私達はApple Iを設計し開発したのはジョブズでなくスティーブ・ウォズニアックであることを知っている。

ちなみに「73 AMATEUR RADIO」誌のAppleブースに関する記事本文をご紹介しておきたい。下手な和訳は誤解の元だと思うので英文のままにしておくが、ここでも「スティーブ・ジョブズは、友人のスティーブ・ウォズニアックからプログラミングの援助を受けてシステムを設計・構築した」といった意味のことが書かれている。ジョブズ自身がそう吹聴したに違いない(笑)。

"Apple Computer was a surprise... a corner of a garage in a home. Steve Jobs, twenty years old, designed and built the system with programming help from friend Steve Wozniak. He has some remarkably good ideas in the system and I was very impressed. I strongly suggested that they pack the system off to Atlantic City for the PC-76 show coming up. They did, and Steve came back with a bunch of orders and dealers (about 40 orders, I believe) ... not bad! He's going to have his hands full as his company grows rapidly. Steve has promised an article on his design for Kilobyte."

振り返ってみるとこの写真が撮られた「PC ‘76 Computer Show」開催は1976年8月28と29日の両日だが、ジョブズとウォズニアック、そしてロン・ウェインの3人がApple Computerという新会社を興すことに同意し、設立の書類に署名したのは同年の4月1日だ。ただしロン・ウェインは2週間程度で離脱するが…。
したがってジョブズの自宅を組立工場としてスタートしたApple Computerはこの「PC ‘76 Computer Show」時にまだ足かけ5ヶ月ほどしか経っていないわけだ。

さて「73 AMATEUR RADIO」には別途Apple I の写真も載っている。しかし前記したシステムとは構成が違い、テレビはケースが無いしApple I は裸で展示されている。ブース自体は別の写真から判断してもあまりスペースがあったとは思えないが、このAppleのブースにはジョブズの他、ダン・コトケやウォズもいたようだから別のスペースに置かれたものなのだろう。
ともかくその写真にはカセットインターフェースを挿した基板むき出しのApple I がキーボードと電源そしてカセットテープデッキと繋がり、テレビにはライフゲームとおぼしき表示がなされていることが見て取れる。
テレビの上にさらに板があり、そこには別途基板のみのApple I とカタログが置かれている。

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※Apple Iの展示写真


Apple Computerという会社はこうして知名度を上げていったが、実はこの時まだ法人としての登記はなされていなかった。この展示会の5ヶ月後の1977年1月3日、マイク・マークラの支援を受けてApple Computerは法人化を実現した。なおマイク・マークラという人物に巡り会ったのはレジス・マッケンナのおかげである。
ジョブズたちがレジス・マッケンナと初めて会ったのは1975年くらいだったという。結局レジス・マッケンナが紹介したドン・バレンティーンという人物がAppleに対し最初の資金の一部を出し、さらに彼が紹介した男がマイク・マークラだったのだ。

オーエン・W・リンツメイヤー著「アップル・コンフィデンシャル」によれば法人化後の4月、ジョブズは広告会社のレジス・マッケンナを尋ね、新しいロゴ制作を依頼したとある。もしそれが事実ならアップルの6色のロゴは極めて短期間にデザインされたことになる。
なぜならその同じ月の4月15日から17日に開催された「第1回ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)」にはその6色のアップルロゴが燦然と輝いていたからだ。
というより、状況証拠しかないもののスティーブ・ジョブズは「第1回ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)」に出展するその大事なシーンに新しいロゴが欲しかったのだと考えたい。すなわち「第1回ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)」出展がアップルロゴ誕生のきっかけとなったのかも知れないのだ。
そしてこのときブースに立つスティーブ・ジョブズは長髪とひげ面は変わっていないものの、開襟シャツではなく三つ揃えにネクタイのスーツ姿だった…。

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※スーツ姿のスティーブ・ジョブズ。1977年撮影


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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員