ラテ飼育格闘日記_830
本日12月10日はラテを家族として迎えた記念日である…。16年前のことだった。そのラテが亡くなってから当然のことだがオトーサンは散歩をほとんどしていない。無論4月に一週間、6月に3日だったか…入院したこともあり出歩くのがキツくなった訳だが、やはりその時その時は「大変」とか「キツい」と思ってもラテのために一定時間、それも朝夕出かけることはオトーサンの健康維持にも役立っていたに違いない。
さて…オトーサンたちはラテ以外のワンコを飼った経験が無いため、他のワンコと多々比較することができない。確かに公園で会う友達ワンコたちとの比較というか対比はできるがそれは表面上のあれこれに違いなく「ワンコとはこういう生き物だ」という意味での考察はラテ以外は分からない…。
そんなオトーサンだからラテを家族として迎入れたときにもどこかワンコとしてより人間の子供に対する受け入れ方になっていたように思う。
しかしラテと名付けたこの雌のワンコは15年3ヶ月を共に生きてあらためて感じたことがある。それは幼犬時代より老犬になってからの方が可愛いのだ。いや、情が移ったからということだけではないのである。
※ラテのスカート姿。その表情は硬く、似合っていない(笑)。2007年撮影
どんな生き物も子供の時代は保護を必要とすることもあり体の小ささだけでなく身振りも喋り方も大人が可愛いと感じるように出来ているものだと言われる。
2006年12月10日に我が家に連れて来られたラテは推定年齢は生後6ヶ月、体重は9.1kgほどだった。その約1ヶ月前に横浜のとある動物病院で開かれた保護犬の里親会で巡り会ったのがきっかけだった。
※2010年、ラテ4歳のときの表情だが笑顔もどこか硬い
ともかくオトーサンは事前に「犬の飼い方」といった類の本を7冊ほど読破して予備知識を得たつもりだったが実際に眼前でフローリングの床にまで歯を立てて囓る小悪魔のような子犬をどう扱えば良いか正直苦慮したし事実オトーサンの両手はラテの甘噛みで傷だらけだった。
それにオトーサンたちが望んで家族に迎えたワンコだからして可愛いと思ってのことだったが、正直可愛いからというより里親会での大人しく人懐っこさを評価したというのが本当のところだった。このワンコなら飼えるだろうと思わせる印象だったからだ。
※2014年、ラテ8歳の表情。その表情が柔らかくなってきた…
確かにまだ子犬だし、オトーサンたちにとっては保護しなければならない我が子のような存在だったがいま思えば、念願だったワンコをこの手に抱きしめることができる喜びは大きい物の、可愛いと思うより使命感といった思いの方が大きかったように感じる。
そして15年3ヶ月という決して短くはない年月の間に撮り溜めた膨大な数の写真を見てそのときそのときのラテの様子、ラテの表情を比較することが出来るわけだが、おかしな事に幼犬時代より老犬になってからの方が間違いなくその表情に可愛さが溢れている。
まあそれは15年3ヶ月の間慈しんできた思いが成せる気持ちだともしても、事実写真を見ればその違いは一目瞭然なのだから面白い。
※2019年、ラテ13歳の表情。感情表現が豊かになっている
幼犬時代から5,6年までのラテはマズルがまだ真っ黒だったこともあり顔の周り…特に顎あたりの体毛も真っ黒だった。それに飼い始めて1年ほどまではラテもオトーサンたちというか飼い主の気持ちも分からず要はまだ信頼できなかったからか、その表情は極めて厳つい(笑)。
両眼は些かつり上がっているように見えるし、後年のような満面の笑顔といった表情は少なかった様に思う。ために散歩をしていると「あっオオカミだ!」と言われるのはまだしも「男らしい顔をしてるね」とか「雄ですか?」といった声かけが多くてオトーサンを腐らせたものだ。
で、可愛く見せる(笑)ために首輪にピンク色のリボンを着けたが「可愛い蝶ネクタイですね」と言われて外した…。
で、これなら「雄ですか」とは言われないだろうとスカートの付いた胴着を着せた。お尻丸出しのスカートをフリフリと揺らしながら歩くその姿は飼い主も少々恥ずかしく感じたが一番の問題は似合わなかったことだ(笑)。それだけラテは何と言ったらよいか、しかめっ面のような顔をしていたのだ。
※2022年2月15日撮影のラテ。亡くなる19日前の何ともいえない幼い表情…
それがどうだろうか、マズルの一部が白くなってきた2013年あたりからラテの表情、特に眼の周りの表情が大きく変わってきた。口元は些か微笑んでいるような感じだし、いわゆる笑顔というか温和な表情が多くなってきた。
そしていわゆる晩年は「これこそ幼犬の顔ではないか」と思わせるほどその表情は幼く愛らしいものになっていった。
嗚呼、いま無性にラテに会いたい…。
さて…オトーサンたちはラテ以外のワンコを飼った経験が無いため、他のワンコと多々比較することができない。確かに公園で会う友達ワンコたちとの比較というか対比はできるがそれは表面上のあれこれに違いなく「ワンコとはこういう生き物だ」という意味での考察はラテ以外は分からない…。
そんなオトーサンだからラテを家族として迎入れたときにもどこかワンコとしてより人間の子供に対する受け入れ方になっていたように思う。
しかしラテと名付けたこの雌のワンコは15年3ヶ月を共に生きてあらためて感じたことがある。それは幼犬時代より老犬になってからの方が可愛いのだ。いや、情が移ったからということだけではないのである。
※ラテのスカート姿。その表情は硬く、似合っていない(笑)。2007年撮影
どんな生き物も子供の時代は保護を必要とすることもあり体の小ささだけでなく身振りも喋り方も大人が可愛いと感じるように出来ているものだと言われる。
2006年12月10日に我が家に連れて来られたラテは推定年齢は生後6ヶ月、体重は9.1kgほどだった。その約1ヶ月前に横浜のとある動物病院で開かれた保護犬の里親会で巡り会ったのがきっかけだった。
※2010年、ラテ4歳のときの表情だが笑顔もどこか硬い
ともかくオトーサンは事前に「犬の飼い方」といった類の本を7冊ほど読破して予備知識を得たつもりだったが実際に眼前でフローリングの床にまで歯を立てて囓る小悪魔のような子犬をどう扱えば良いか正直苦慮したし事実オトーサンの両手はラテの甘噛みで傷だらけだった。
それにオトーサンたちが望んで家族に迎えたワンコだからして可愛いと思ってのことだったが、正直可愛いからというより里親会での大人しく人懐っこさを評価したというのが本当のところだった。このワンコなら飼えるだろうと思わせる印象だったからだ。
※2014年、ラテ8歳の表情。その表情が柔らかくなってきた…
確かにまだ子犬だし、オトーサンたちにとっては保護しなければならない我が子のような存在だったがいま思えば、念願だったワンコをこの手に抱きしめることができる喜びは大きい物の、可愛いと思うより使命感といった思いの方が大きかったように感じる。
そして15年3ヶ月という決して短くはない年月の間に撮り溜めた膨大な数の写真を見てそのときそのときのラテの様子、ラテの表情を比較することが出来るわけだが、おかしな事に幼犬時代より老犬になってからの方が間違いなくその表情に可愛さが溢れている。
まあそれは15年3ヶ月の間慈しんできた思いが成せる気持ちだともしても、事実写真を見ればその違いは一目瞭然なのだから面白い。
※2019年、ラテ13歳の表情。感情表現が豊かになっている
幼犬時代から5,6年までのラテはマズルがまだ真っ黒だったこともあり顔の周り…特に顎あたりの体毛も真っ黒だった。それに飼い始めて1年ほどまではラテもオトーサンたちというか飼い主の気持ちも分からず要はまだ信頼できなかったからか、その表情は極めて厳つい(笑)。
両眼は些かつり上がっているように見えるし、後年のような満面の笑顔といった表情は少なかった様に思う。ために散歩をしていると「あっオオカミだ!」と言われるのはまだしも「男らしい顔をしてるね」とか「雄ですか?」といった声かけが多くてオトーサンを腐らせたものだ。
で、可愛く見せる(笑)ために首輪にピンク色のリボンを着けたが「可愛い蝶ネクタイですね」と言われて外した…。
で、これなら「雄ですか」とは言われないだろうとスカートの付いた胴着を着せた。お尻丸出しのスカートをフリフリと揺らしながら歩くその姿は飼い主も少々恥ずかしく感じたが一番の問題は似合わなかったことだ(笑)。それだけラテは何と言ったらよいか、しかめっ面のような顔をしていたのだ。
※2022年2月15日撮影のラテ。亡くなる19日前の何ともいえない幼い表情…
それがどうだろうか、マズルの一部が白くなってきた2013年あたりからラテの表情、特に眼の周りの表情が大きく変わってきた。口元は些か微笑んでいるような感じだし、いわゆる笑顔というか温和な表情が多くなってきた。
そしていわゆる晩年は「これこそ幼犬の顔ではないか」と思わせるほどその表情は幼く愛らしいものになっていった。
嗚呼、いま無性にラテに会いたい…。