スティーブ・ウォズニアックの発言が変だ!?

スティーブ・ジョブズが元気な時期はAppleを起業した相棒…スティーブ・ウォズニアックの動向はほとんど入ってこなかった。新型iPhoneが売り出されるときAppleStoreの列に並んだとかセグウェイを乗り回しているとか、どこか奇人然としたニュースを聞く程度だったがここのところ彼のスピーチがいろいろと耳に入ってくる。しかし…気に入らない(笑)。


スティーブ・ウォズニアックの言動は悪気があるはずもないにしても私にはジョブズが亡くなってからどこか余計な発言があれこれ目立つように思う。
マスコミやメディアにしてみればウォズを担ぎ出してインタビューでも取れればそこそこ注目を浴びることができるからという魂胆なのかも知れないが、ウォズの発言はその時々で食い違っている部分も目立ち、悪いけどそのまま鵜呑みにはできない。

スティーブ・ウォズニアックに関しては「パソコン世界を創造した傑物たち【第6話】〜 スティーブ・ウォズニアック」で詳しくご紹介したつもりなのでそのまま繰り返さない。しかし今回ビジネスウィークの取材によるウォズの発言を見ていると報道通りなら正直「なんだかなあ…」と思わざるを得ない。無論これは個人的な感想であってそう思わない方もいるに違いないが...。

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※Apple IIc発表時にApple 1と共にお披露目するスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズ


まあ、ウォズに喧嘩を売るつもりはないが、最近の発言はジョブズへ遠慮の必要がなくなったからだろうか、辛辣な物言いが目立つような気もする。
まず「Apple 1 の設計は自分がやった」という発言は間違いないわけだが、こう「自分が」「1人で」と言われると鼻についてくる(笑)。しかしこれだけは繰り返したい…。

当時のウォズは優れたエンジニアだったにしても当然のことながらコンピュータの設計は素人の立場だった。勤務先のヒューレット・パッカード社では電卓の設計担当だったようだがそのHP社がコンピュータの設計をやることになってもウォズには何の音沙汰もなかったという。無論会社はApple 1などの実績を承知した上でだ...。ウォズは自著で憤慨というか残念がっている...。
すなわちコンピュータの設計に関してはアマチュアと評価されていたに違いない。無論当時個人用のコンピュータを設計するプロフェッショナルなどほとんど存在しなかったし一部Altair8800などを別にすれば市場自体が存在しなかった。ウォズが作ったApple 1はだからこその独創的なマシンでもあった…。

ちなみにこの時代のスティーブ・ウォズニアックをアマチュアと称すると「彼はアマチュアではない」とお叱りをいただくことがままある...。まあ見解の相違といってしまえばそれで終わりだが「パソコン世界を創造した傑物たち【第6話】〜 スティーブ・ウォズニアック」の中でも述べたようにApple II にしても量産するための正確な回路図さえなかったという。そして試作は動作しなかったしウォズニアック自身にもどうしてよいかわからなかったのだ。仕方なくビル・フェルナンデスがウォズニアックが方眼紙に書いたメモを頼りに作り直した配線図があったればこそ製品化ができAppleの歴史が始まったのだ。この時代のウォズニアックが天才であったことは認めてもコンピュータエンジニアのプロフェッショナルと称することは私にはできない...。

話しをApple 1に戻すが、彼自身が自分の為にApple 1を作ったといっているとおり、そもそもが大量生産して販売するつもりの製品ではなかった。確かにビデオターミナル開発の経験からキーボード入力したテキストがTVにそのまま表示するという快挙は新しい時代の個人用コンピュータを感じさせるに十分だったが、それが現在のように評価され歴史の一コマとして語られているのは少数とは言え商品として販売を実現したスティーブ・ジョブズのおかげである。

さて本題だが、ビジネスウィークの取材でいくつか裏話を紹介しているわけだがその中で私が注目した点は以下の3つだ。何故ならこれまでの発言や他の資料を当たった結果と比較して矛盾が目立つからである。特に3番目の発言はこれまでの通説と違うこともあって広く報道されたから...ウォズの真意を知りたいものだ。

「Apple I の販売台数は100台程度だった。」
  いまとなってはApple 1の販売数などどうでも良いが(笑)ウォズ自身の発言となれば無視できない。彼はこのビジネスウィークの取材でApple 1の販売数を100台程度と答えている。しかし自著「アップルを創った怪物~もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」では「1976年始めまでに、僕らは150台ほどのコンピュータを売った」といっている。またアスキー出版局刊「マッキントッシュ伝説」では斎藤由多加氏のインタビューに「175台製造して、おそらく150台が売れたと思います。」と答えている。そもそもが175台程度しか製造しなかったとすれば150台と100台の差は決してどうでもよいことではない。時代の生き証人であるならしっかりしろ…ウォズ!

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※Apple 1 (レプリカ)。当研究所所有


「表計算用ソフトを設計したことがApple II の販売数に貢献した」というニュアンスの発言?
  ビジネスウィークの記事を素直に読めば「そのあと私たちは表計算プログラムを設計した……」と受け取ってしまうかも...。またこの表計算ソフトは時期的な意味においても VisiCalc(ビジカルク) のことらしいが、だとすればそれは事実とは違う。世界初のパーソナルコンピュータ向け表計算ソフトといわれるビジカルクの誕生はスティーブ・ウォズニアックやマイク・マークラの支援によるものではないしその誕生にAppleはもとよりウォズが関与していたという事実はないはずだ。

ただしBusunessweekの記事は括弧つきで we design となっており、これは編者がウォズの言葉が足りないと意図して説明のために加筆したものだからしてウォズ自身の発言とは違うかも知れない...。とはいえ事実ここのサイトでは「その後僕らはあるデジタルの表計算ソフトを設計して(注:VisiCalcのこと)、とある1つの小さな会社がペンと紙で10年かかる作業をたった1時間で終わらせることができるようにしたんだ。」と訳されている。

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※VISICALCのマニュアル兼パッケージ(当研究所所有)


ともあれ「Calculedger (カルキュレジャー)」というVisiCalcのβ版は当時ハーバード・ビジネス・スクールの学生ダニエル・ブルックリンと友人のマサチューセッツ工科大学に在籍していたロバート・フランクストンが自身らの会社であるソフトウェア・アーツ社で開発したものだった。

1979年1月、Apple Soft BASICで開発された「Calculedger」をパーソナルソフトウェア社ダン・フィルストラがAppleのスティーブ・ジョブズとマイク・マークラらに見せたという…。しかし彼らはこのアプリケーションがその後自社のApple IIの販売を大きく伸ばす原動力になるとは夢にも思わず対応は冷淡でマイクロソフト社のビル・ゲイツ同様に直接扱うことを断った。だからこそパーソナルソフトウェア社は1979年5月、ウエスト・コンピュータ・フェアに自ら出展しビジブル・カリキュレータ(visible calculator)にちなんでビジカルク(VisiCalc)と名付け当該ソフトウェアを一般公開する。
VisiCalcとウォズとの接点があるとすればそれがApple II で開発され、しばらくの間はApple IIでしか動かなかったという事実だけだ。したがって念のためだがウォズたちApple側がVisiCalcの設計開発に関わったと受け取ることのないようにしたいものだ。

  ※VISICALCに関しては「Apple II 用として開発された表計算ソフト「VisiCalc」再考」を参照されたい。


「ガレージ (から起業)は神話だ。ジョブズの自宅のガレージでは生産は行っていない。」
  アップルはガレージから起業したということになっている。ガレージから始まって世界一の企業に成長したというサクセスストーリーは確かに絵になるし話題に事欠かない。しかしウォズは今般、ガレージで生産(Apple 1)はやっていないという。無論ここでいう生産・製造とはApple 1を組み立てることを意味する。

ジョブズの案で作ったプリント基板に必要な部品をハンダ付けして実装する作業だ。勿論オートメーションであるはずもなくすべて手作業で行ったが、それはバイトショップから完成品を1ヶ月以内に納品できれば現金で支払うという思いもしなかった注文が入ったからだ。それまでジョブズたちは20ドルで製造したプリント基板を1枚40ドルで販売するといった程度のことしか考えていなかった。

ともかくこのApple 1の組み立ては場所と人材が必要だ。いくら何でも2人のスティーブだけでは間に合わない。
私自身Apple 1のレブリカを手に入れ、実物とおなじく基板上に全てのソケットや部品をハンダ付けし、ICをセットした実経験からいうが、1台を組み立てるのは慣れた人だとしても集中力も必要だし時間がかかることは間違いない。簡単なことではないし、手抜きをすれば当然それは動かない...。

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※Apple 1のレプリカ組み立てキット。私は実際に組み立てたから明言できるが、プリント基板にすべての部品を実装するのは生易しいことではない。以下はその組み立て過程


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※上から基板のみの状態、ソケットをハンダ付け、コンデンサや抵抗をハンダ付け、すべてのICをソケットに実装【すべてクリックで拡大します】


事実ウォズの自著「アップルを創った怪物~もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」によれば、プリント基板が届くとジョブズの妹や友人のダン・コトケにボード1枚1ドルでチップを差し込むバイトをしてもらったこと、そして「クリスト通りにあるスティーブ・ジョブズの実家のガレージで僕らは作業台に向かう…」とウォズ自身が言っている。要はガレージか寝室かはともかくジョブズの自宅の一室で生産を行ったということだ。実際には他にも後にAppleの社員となったビル・フェルナンデスも手伝った。

さて、スティーブ・ジョブズという人物は最初から「嫌なヤツ」とバイアスがかかっていることもあって(笑)どんな情報にも驚かないが、スティーブ・ウォズニアックは善人であり正直者で多くの人たちにその人間性ゆえに慕われているという。それだけにこうしたズレがどこから来るのかは分からないものの真実を語る中で事実を歪めるとすれば残念だ…。勿論私が「これが正しい」と言えるはずもない。彼がこれまでに発言した内容とのギャップを指摘したに過ぎないが、ビジネスウィークの報道が正しいとすれば...ウォズはどうしたのだろうか?

【主な参考資料】
・アスキー出版局刊「マッキントッシュ伝説」
・京電機大学出版局刊「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」
・ダイヤモンド社刊「アップルを創った怪物〜もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」
・アスキー出版局刊「実録!天才発明家」


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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員