ラテ飼育格闘日記(21)

ラテとの散歩中には道々いろいろな方が声をかけてくれる。無論ワンコが好きな方々なのだろうが、ラテのスカート姿がきっかけとなっていることは事実のようだ(笑)。しかしラテは総じて外面がよいのだが、相手によって対応が大きく変わる。


まあ、ラテ本人は喜んで服を着ているわけではないので少々可哀想だが、そのおかげで本当に多くの人たちに「あっ、この子スカート履いてる」「かっわい〜い」などと言われることが多いのもまた事実...。だからスカート様々なのだ(笑)。 

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※ラテはお行儀もよいんです!


散歩は通常朝と夕方と決めているが、時間帯は微妙に違う。したがって同じ道筋を通ったとしても毎日同じ人たちと会えるわけではない。 
朝すれ違うオジサンは「ああ...また会えたねぇ」。オバサンは「駅でよく見かけるねぇ...いい子だねぇ」などと手を出してくれるがラテはつれなく「ワンワン!」と吼えたてる(笑)。 
夕方の散歩時にはカフェに寄ることも多いが、その道々2人連れの女性に「かわいいわねぇ、スカート履いてんの...。名前なんていうの?」と声をかけられる。無論ラテが「ワタチ...ラテデス」というわけもなく、ただただ「ワンワン...」と吼え立てるというまったく無愛想な娘である。 
では、知らない人に対して100%吼え立てるのかというとそうでないのが不思議であり面白いところなのだ。 

午後の散歩は通常カフェで時間を過ごした後に公園へと向かうが、その道筋に小学校がある。したがって時間帯にもよるが下校途中の子供達が家路を急いでいる。私とラテはそんな子供達の間をくぐり抜け、約2Kmの道を公園へと向かうわけだが、小学生の女の子たちから多々声がかかる。 
男の子たちはほぼワンコに向かって嗾けるような行動しかとれないようだが、女の子たちは総じてしっかりしている子が多いように思う。そんな子供達がランドセルを背負ったまま寄ってきて「かわいい...。触っていいですか?」と尋ねる。そこいらの大人よりずっとマナーもしっかりしているではないか...。だから私は女の子が好きだ(爆)。 

私はラテのリードを極端に短くしたり、時には直接首輪をつかんでラテを制御しつつ「いいけど、犬は怖くないの?」と聞く。そうしたときの答えの大半は「大好きなんです」という返事が多い。話を聞くとその中には自宅でワンコを飼っている子もいるが、「飼いたいんですけどダメなんだって」という子もいる。 
不思議なのは、そうして寄ってきた子供達に向かってラテは絶対に吼えないのだ。 
もともとワンコは子供達が気になって仕方がないようで、その動きや声の高さなどから明らかに大人と区別しており、自分と同等の仲間だと思っているフシがある。だから子供に対しては進んで向かっていくことが多いものだがやはり人をしっかりと見て判断しているように思える。 
リードを強く引いてはいるものの、ラテは喜んで飛びかかろうとする。女の子は積極的にラテの上げた前足を両手にとって抱きしめる...。私は「服が汚れるよ」と心配するが当人は「平気です」とラテを撫でている...。ラテはシッポを強烈に振りながら女の子の手に甘噛みしようとするので慌ててリードを引く。 
そうしたコミュニケーションは数分の短い時間だが、ラテは一度も吼えることはないのである。 

そんな体験を毎日していると、何だか少しずつ吼える人と吼えない人の違いが分かってくるように思える。 
最初は子供に対して初めから警戒心がなく心を許している傾向があるから、そのせいかとも思ったが一概にそうでもないのだ。 
一度など、カフェのテラススペースの一郭にラテを繋ぎ、私は店の中にオーダーをするために入り、飲み物などを持って外に出て見ると大学生らしき女性とラテが抱き合っている(笑)。女性に怪我をさせてしまっては大変と慌てて駆けつけるが、ラテはひと言も吼えることなく女性の撫でるがままにしている。 
「大丈夫ですか、噛んだり引っ掻いたりしませんでしか?」と思わず聞いたが「犬、大好きなんですよ」と彼女は手を休めない...。 
無論その女性とはまったくの初対面であり、挨拶を交わしたこともない。 

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※最近のラテは少し太った...。この子の笑顔は何ものにも代え難い(笑)


まだまだ言い切る自信はないものの、どうやらワンコは自分を好いて近づく人は敏感に察知しているように思える。そうとしか考えられない。 
無論喜んで吼えるときもあるから、吼えるイコール嫌い...といった単純なことではないがラテなりに判断基準があるに違いないと思う。 
すれ違う自転車や大人と子供、ワンコやニャンコは勿論ハトやカラス、道ばたに揺れる草花、風に飛び交う葉っぱや虫たち、そして最近見かけるようになった鯉のぼりにまで鼻を鳴らしながら、ラテの散歩は雨の日も風の日も...今日も明日も続くのであった(笑)。

P.ブルックス著「人月の神話」とソフトウェアビジネスの難しさ

私は丸14年間仕事の約半分は自社開発のパッケージソフト作りに、後の半分は大手企業からの特注ソフトウェア開発で飯を食ってきた。そして様々な修羅場もくぐってきたから、ソフトウェアビジネスについて物言いする資格はあるだろう(笑)...。 


ブルックスの著書、「人月の神話〜狼人間を撃つ銀の弾はない」にからめて今回はソフトウェアビジネスの難しさをテーマに雑文を書いてみる。
フレデリック・P・ブルックス著「人月の神話〜狼人間を撃つ銀の弾はない」は1975年に出版された本だから、すでに30年以上も前の本である。そして私が手にしているものは発行20周年を記念して1996年に増訂出版された一冊だ。 
本書(原題:「The Mythical Man-Month」)はコンピュータの開発、特にそのソフトウェア開発の生産性に関わるマネジメントの問題を扱った本である。ただし1975年といえば、コンピュータは大型汎用コンピュータを意味した。ブルックス自身、IBMのシステム/360の開発者として知られており、その開発の経験が本書を書くきっかけとなったという。したがって現在パソコン向けのソフトウェア開発の現状とは些かニュアンスが違うが、事ソフトウェアという "魔物" を扱う仕事としては傾聴に値する内容であることには間違いがない。 
まあ、これからの話はプログラマや同業者の方々には文字通り釈迦に説法であるから、読み飛ばしていただきたいが、ソフトウェアを創るという仕事の内幕をご存じない方には面白いかも知れないし、一部はすべてのビジネスにも関わってくることだ...(笑)。 

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※フレデリック・P・ブルックス著「人月の神話〜狼人間を撃つ銀の弾はない」 (原著発行20周年記念増訂版)表紙


本書「人月の神話」について詳しく解説する余裕も能力も私にはないが、ソフトウェアを開発する立場からは現在にも通じる様々な問題を考えさせられる「古くて新しい一冊」だといえる。 
ところで「人月」という言葉に馴染みがない人もいると思うので少し触れておきたい。「人月」は通常「ニンゲツ」と読み、ソフトウェア(とは限らないが)を開発実装するのに必要とする工数(一般的には見積額の算出などに利用する延べ時間)を人と時間との単純な掛け算で表現した単位である。例えば「3人が6ヶ月かかってソフトウェアを開発する場合」の工数は「18人月」となる。 
この工数はそのまま見積の単位として見なされ、その開発企業の一人月の費用が100万円なら、前記の開発費用の基本総額は1,800万円となる計算だ。 

しかしこの人月という考え方は、心ある人なら誰でも頭をかしげながら使っているのではないだろうか。 
ブルックスは、開発コストは人月で算出されるが開発の進捗は人月にはそぐわず、疑うべき危険な神話であると言っている。 
コストを人月で表すと言うことは、"人"と"月"とがお互いに交換できるというニュアンスを含んでいる。しかし実際には交換はできない。どういうことか...。 
例えば前記のように「3人で6ヶ月かかるから18人月の仕事です」とクライアントに提示したとする。クライアントは「18ヶ月もかかるのでは間に合わないから18人を投入して1ヶ月で開発してくれ」と要求する(笑)。しかし、現実には出来得ない相談である。 
そこに混乱が起きる。こうしたソフトウエア開発の管理の難しさから「女性がどれほどたくさん動員されたところで、子供1人が生まれてくるまでは十月十日かかることに変わりはないのと同じだ」とか「遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加はさらに遅らせるだけだ」というブルックスの明言が生まれた。 
そんなに不明瞭なら人月といった単位は使わなければ良いと考えるかも知れないが、当然クライアントはコスト算出のためには単位の定量化・標準化を求める。したがってある意味、ソフトウェア開発の天才であろうと今年入社した新人であろうと、1人は1人として数えるしか方法はなく、何ヶ月で開発が終わるかをコストに反映させるしか説得力のある単位が他にないのである(笑)。まあ、厳密にはより以上に緻密なコスト算出をしなければならないが、一般的に「人月」へのイメージはこんな感じなのだ。 

さて、私の経営したMacintosh専門のソフトハウスは工数単価の高いことでも知られていた(笑)。 
クライアントが他社と相見積をとるような場合があれば確実に2倍から3倍は高かったと思う。いや、私から言わせれば相見積の他社が異常であり、そのコストでは後先を考えずに仕事を取りたいがための安売りとしか考えられないのだが...。そして初めからそのコストではまともなものが作れるとは到底思えない。 
ともかく1人月のコストは高かったが、自慢できることがひとつある。それは14年間のビジネスのなかで自社開発のケースは別として、クライアントからの特注開発依頼の納期を一度でも遅らせたことはない...。 
さらっと書いたが、この事実はこの業界では希有なことだと断言できる(笑)。中には「ソフトウェア開発は遅れて当然」と考えている人もいるようだが、趣味ならともかくビジネスとしての契約あるいは約束を「当然」とか「慣例」のひと言で済ませてしまうそのことが、ソフトウェア産業への信頼性を薄くする原因に違いないと考える。 
無論技術的にも他社が開発を失敗し、アップルに泣きつき、その駆け込み寺的に私の会社にコンタクトを取られた超大手企業もあったくらい、手前みそながら技術的にも優れた企業だった。 
ともかく特注ソフトウェア開発はひと言でいえば「魔物」である。数多くの開発を手にしてきた経験から言えば最大の問題は「クライアントの多くは発注時に自身の欲しい"もの"を知らない」と常々感じている。どういうことか...。 

もともとMacintosh用のソフトウェア開発のために、本格的な意味での仕様書などを書き上げた例はほとんどなく、開発の進捗そのものが仕様の確認となる場合が多かった。それでもクライアントは注文に当たり、当然のこと「このような機能を実装し、このような結果が得られるソフトウェアを開発して欲しい」と依頼してくる(注文書)。しかしそれらを実装して実際に動作するところをお見せすると、その大半は「ああ...なるほど、弊社が考えたことはこのことなのですね」と始めて本当の意味で、機能の目的や仕様の実際・実態を認識され、それが他へどのような影響を与えるものなのかを知ることになる。だから多くの場合に続いて「...それなら、こうした機能も可能ですか?」とくる(笑)。 
...それでは見積の工数計算をやり直さなければならない。しかしクライアントはその事は頭にない(爆)。 
だいたい仕様やその完成度について、開発側とクライアント側とはもともと温度差が違うものだから、その温度差をいかに埋めるかが重要であり、まかり間違っても口約束だけの仕事を受けるようなことがあってはならない。 
私がどのような大手とも対等の基本契約書をやり取りする努力を怠らなかったのはそのためだ。 
だいたい相手は工数だなんて便宜上のものであり、どうにでも収縮できるものだと思っているフシもあるのだ(笑)。 
プログラムの開発の話ではないが、最近友人から聞いた話しで印象的な出来事があった。それは彼らがビデオ制作の受注を受け、何度もクライアント側のスタッフらと入念な打ち合わせをした結果、作品が完成し、それを納品するため相手先に出向いたという。クライアントのスタッフらは思った通りの出来に満足だったようだが、そこにこれまで一度も打ち合わせに出たこともない責任者と称するオヤジが登場し、一瞥しただけで「これではダメだな...やり直してもらえ」とスタッフにボソっと指示をしたという...嗚呼。 
この種の場面を経験したことのないビジネスマンは幸せであるばかりでなく、失礼ながらまだ一人前ではないと思う(笑)。なぜならそれほどこの種の、それも理不尽なすれ違いが実際には多いものなのだ。 

ともかくひと言でいえばソフトウェア開発という仕事は特殊な要素を多々含んでおり、単純に他のクリエイティブな労働と比較出来ないのである。 
ここで詳細な部分には踏み込まないが、ブルックスはこうした問題を解決する意味で、管理者側の取るべき行動のうちもっとも重要なことは、「だれか1人を製品アーキテクト(architect)に任命することだ」と主張している。アーキテクトとは、この場合、設計者・考案者・構成者などと訳されるが、アーキテクトは開発関係者全員が共有すべき製品の心的モデルを形成することは勿論、利用者の代弁者でなければならない。 
開発には機能・性能・サイズ・コスト・スケジュールといった様々な要因が複雑にからんでくるが、これらを十分に認識し、問題があれば傷の浅い内に軌道修正をとらなければならず、それらをコントロールするのもアーキテクトの役割に違いない。そして自身がユーザーの立場からもソフトウェアを評価できることが最も大切なことだと考える。 
手前みそにはなるが、私の会社においてのアーキテクトは社長の私自身であった。現在でも私の大きな仕事のひとつはソフトウェア開発や新規事業立ち上げに際しての"アーキテクト"であると自負しており、名刺にもその旨を記してある。 
というわけで、幸いにも優秀な開発陣やスタッフらの努力と共に私自身がアーキテクトの役割を果たし得たからこそ、納期を違えたこともなく、大きなトラブルを抱えることもなく14年間を過ごすことが出来た。 
ただし、これは特注開発に関する状況であって自社開発のパッケージソフトウェアを生み出すプロセスとなれば話はかなり違ってくる。暴露話になるが(笑)、正直遅れに遅れたプロダクトもあったし、バグがなかなか取れずに苦労したプロダクトもあった。そうしたパッケージソフトの開発秘話についてはまた別途ご紹介してみたい。 

さて、ブルックス著「人月の神話」はソフトウェア開発だけでなく、さまざまな業種における管理職のあり方をも考えさせられる名著だと思う。そこに展開されている理窟がすべて我々の日常を反映しているとは思わないが、もしまだお読みになっていない管理者がおられたら是非一読をお勧めしたい一冊である。 

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 「人月の神話〜狼人間を撃つ銀の弾はない」 
  
 1996年2月15日 増訂版第1刷発行 (原著発行20周年記念増訂版) 

 著者:フレデリック・P・ブルックス 
 訳者:滝沢徹、牧野祐子、富澤昇 
 発行:アジソン・ウェスレイ・パブリッシャーズ・ジャパン(株) 
 発売:(株)星雲社 
 書籍コード:ISBN4-7952-9675-8 C3055 
 定価:本体2,816円+税 
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ラテ飼育格闘日記(20)

ラテを美容室と動物病院に連チャンで連れて行った。さぞかし強いプレッシャーを感じたことだと思うが、年一回の狂犬病予防注射の時期であり、よい機会だからと本格的な健康診断を受けた。 


ワンコの成長度にはいろいろな学説があるようだが、ワンコの一年は人の数年にも匹敵すると言われている。したがって人間が年一回の健康診断を受けるのと同じくワンコの健康を考えるなら、一年に最低2回ほどの健康診断が理想だという。 

ワンコを飼うということは、その健康に飼い主は全面的な責任を持たなければならない。そして現実問題として突発的な病気や怪我はともかく、心して検査・予防・対策をしなければならないいくつかの病気がある。 
それらは狂犬病予防注射、混合ワクチン接種、フィラリア予防、ノミ・ダニ予防といったことなどだ。 
狂犬病予防注射が必要なことはよく知られているが、これは年一回保健所から通知が来る。またジステンバー、アデノウィルス感染症、パラインフルエンザ、パルボウィルス感染症、レプトスピラ病予防のためにこれまた年一回のワクチン接種が必要となる。そして蚊によって感染し、寄生虫が血管や心臓に住みつき、ワンコを大変苦しめ寿命を縮めるフィラリア症という怖い病気があり、その検査と予防もしなければならない。資料によれば、このフィラリア症はワンコの死亡原因NO.1だそうだ...。 

これまでラテを動物病院に連れて行ったのは3回だが、すべてウィークディだった。そのためオトーサンひとりで役目を果たしたが、今回は事前の予約が必要だった事と、女房も一度経験しておきたいというので日曜日に一緒に出向くことにした。そして健康診断前にきれいにしておこうと前日の土曜日に美容室へも出向いた。気温が暖かくなることも考え、いつもより短めにカットをしてもらう。 
特に頭回りの毛を短くしてもらったためか、顔が小さく見え、逆に胴体が大きくなったように見える。いや、見えるのではなく確かにここのところラテは太ったに違いない...。 

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※人間様の美容室とならんで、ワンコ専用の美容室がある(笑)


天気もまずまずの4月15日(日曜日)、午前中に病院へと出かけることにしたが、ラテは何処へ向かうかは知らず、昨日のシャンプーの香りをまき散らしながらルンルンである(笑)。しかし自宅から20分ほどで到着した病院前まで来ると四つ足を大きくふんばって中へ入りたくないと頑張る。それを抱えるようにして院内に入る。すでに予約をしていたのですぐに診察室へと案内されるが、他にも数匹ワンコたちが待って悲しい声を出している。 

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※かかりつけの動物病院は季節柄か混んでいた


体温を測った後に血液検査のために後ろ足の臑から採血したのでかなり痛いはずだが、ワンともいわずに静かにしている。逆にラテを押さえている女房の方が緊張している...(笑)。 
しかしよく見るとラテの後ろ足が少し震えている...。やはり怖いのだろう。思わずオトーサンはラテに頬ずりする。 
体重を量るとすでにほぼ12Kgになっていた。やはり太ったわけで、抱っこすると重いはずだ。 
しばらく待っていると、フィラリア検査と健康診断の結果が出る。 
医者に「ご説明しますのでお座り下さい」などと言われると、なんだが子供の成績を学校で聞かされる父母みたいな気持ちになってくる(笑)。 
幸いフィラリア検査は陰性であり、一安心だ。また健康診断の結果は10項目以上におよび、GUL(血糖)、BUN(尿素窒素)、TP(総蛋白)、ALB(アルブミン)、GOT/AST、GPT/ALT、CPK、ALPといった他に、WBC(白血球)、RBC(赤血球)、PLT(血小板)などの検査結果が出ている。 

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※公園で遊ぶフリスビーを自分で咥えて歩くラテ...


CPKならびにALPの値が少々高かったが、総合判断としては問題ないレベルだということでホットする。そして、健康状態に問題ないということで狂犬病予防注射も打ってもらう。さらに内診などもやってもらったがこれまた幸いに問題はなくオトーサンよりずっと健康であることが分かった(爆)。 
体重も総合的に見てベストの状態だと思うから、これをキープするようにと指導を受ける...。最後に狂犬病予防注射済票と6月から7ヶ月間、一月一回飲ませるフィラリア予防薬とノミ・ダニ予防薬、そしてワンコ専用の歯ブラシをいただいて動物病院を後にした。 
しかし覚悟はしていたものの、医療費は高い...。 
その日、我々の食事内容がいつもと比べて些か質素だったことをラテは知らない(笑)。

1500年の封印から蘇った禁断の書「マグダラのマリアによる福音書」とは

先の「ユダの福音書」に続き、19世紀末にエジプトで発見されたパピルス写本「マグダラのマリアによる福音書」を楽しみながら読んだ。なにしろ私は昔からマグダラのマリアのファンなのである(笑)。 


中世から近代に至るヨーロッパにおいて創作された美術・芸術の多くはキリスト教文化を抜きに考えられない。そしてあまたの絵画の中でも「マグダラのマリア」が描かれているものは私にとって大変魅力的なのだ。 

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※大好きな15世紀の画家カルロ・クリヴェッリ描く「マグダラのマリア」。オランダ王立美術館蔵


小説「ダ・ヴィンチ・コード」の大きなテーマもマグダラのマリアがイエスの妻であり、血脈すなわち子孫まで残していたというものだった。 
しかし、マグダラのマリアはこれまで「悔悛する娼婦」という汚名をずっと着せられていたことはご存じのとおりである。このイメージはキリストによって「悔い改めた罪人」の代表格であり、正統派キリスト教にとっては活用するに足りる布教の広告塔にもなった。 

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※河出書房新社刊「マグダラのマリアによる福音書」表紙


ところで信徒でない私ではあるが、史実のイエスならびその歴史に興味を持ち続けてきた1人としてどうしても納得できないことがある。それは処女受胎でもなければイエスが行ったという奇跡でもなく、処刑3日後の復活でもない...。 
聖書をざっと読んでみればわかるが、そこに登場する12人の使徒は決して優秀な弟子たちではなかった。イエスの言葉を理解できず、うろたえ、疑い、彼の真意を誰1人くみ取ることができなかったといっていいだろう。 

ちなみに聖書そのものを歴史書として見ることは出来ようもないが、一方多くの真実が含まれていると感じるのはまさにこの点にある。なぜなら歴史の記録はすべて勝ち組の残したものであり、負け組の存在や記録は抹殺されるのが普通だ。もし自身で自分の伝記を書くとしたら、触れられたくない過去は装飾するなり無かったこととして記述するのが人間であろう(笑)。 

しかし聖書には都合の悪いことも多々そのまま記録されているという点に大いなる興味を感じる...。 
例えば、聖書に描かれている時代は女性の地位は大変低く、その発言は信頼・容認され得ないものだったが、マグダラのマリアは復活したイエスに最初に出会った証人としての栄誉を与えられている。これも教会側からすれば、ペトロとかヨハネであった方が権威も増し、都合がよいはずだがそうではないところに信憑性を感じるのだ。 

さらに、あのユダはイエスを裏切った代名詞とされているが、イエスを三度否認したペトロも含め、結局は12使徒全員が師イエスを裏切っているのである。 
イエスが磔にされるとき、見守っていたのはマグダラのマリアをはじめ、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメといった女性たちだった...。 

私の最大の疑問は、そうした出来の悪い弟子たち(12使徒)が師の死後、自身の命をも惜しまず布教の旅に出るほど強い人間になったのは何故なのかということなのだ...。 
故遠藤周作は、自身の小説でその直接的な原因こそ「復活」が実際にあったのだと臭わせている。そんな劇的な何かがなければ、師が磔にされるまで逃げ隠れしていたような普通の弱い人間たちが...それも複数、迫害され惨殺されるリスクを承知で布教活動を続けるようになるとは考えられないのではないだろうか...。 

さて話を「マグダラのマリアによる福音書」にもどすが、19世紀後半にコプト語訳の断片写本が発見され、20世紀になってさらに2つのギリシャ語の断片も明るみに出された。こうして入手解読された写本はわずか8ページ足らずの大変短い物語だが、これまで知られていなかった別種類のキリスト教の存在、イエスの姿を垣間見ることができる...。 

そこに登場するマグダラのマリアは娼婦などではなく、師の一番の理解者であり最高の女性使徒として描かれている。その姿にペトロは嫉妬さえして彼女の話しにクレームを付けマグダラのマリアを泣かすシーンもある。 
イエスは生前、制度としての教会組織はもとより自身で著作は残さなかった。したがって良くも悪くも現在の教会組織やそのより所ともなる正典(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書)は後年残された多くの資料から選別され、"ニカイア信条" が代表するようにある意味教会側に都合の良い解釈の元にまとめ上げられたものである。 

先の「悔悛する娼婦」としてのマグダラのマリアのイメージも、長い歴史の中で私たちの心に浸透し、払拭出来ぬほど強固なイメージとなっていったが、聖書そのものを丹念に読めばもともと「マグダラのマリア=娼婦」といった図式などどこにもない。 
無論マグダラのマリアを娼婦に仕立てたのは正統派の神学者たちであり、彼女を教会の中枢である使徒の座から抹殺するために貼ったレッテルである。 

「マグダラのマリアによる福音書」や「ユダの福音書」のように、現在では「異端」といったひと言で区別される教義資料にしても、聖書がまとめ上げられるまでの初期キリスト教サークルには、イエスについて、イエスの磔について、そして復活についての意味・意義に関しては様々な意見があったと考えられている。 
そもそも「マグダラのマリアによる福音書」が書かれた時代は、教会組織がどの方向に向かうのかも分からない時代だったのだ。 

本書の筆者カレン・L・キングは現在ハーバード大学神学部教授であり、古代キリスト教史、コプト語を担当し「マグダラのマリアによる福音書」研究の世界的第一人者だそうだ。彼女により、なぜマグダラのマリアは娼婦に仕立て上げられたのか?といった興味あるテーマが克明に暴かれると同時に、正典の「福音書」が伝えるイエスと驚くほど違う、もう1人のイエスが緻密に解き明かされていく。 
興味は尽きず...私のイエス研究は続く...(笑)。 

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 マグダラのマリアによる福音書〜イエスと最高の女性使徒 
  
 2006年12月30日 初版第1刷発行 

 著者:カレン・L・キング 
 訳者:山形孝夫、新免貢 
 発行:河出書房新社 
 書籍コード:ISBN4-309-23076-8 
 定価:本体2,400円+税 
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ラテ飼育格闘日記(19)

ラテは散歩の途中でワンコはもとより、多くの野鳥や鳩、雀やカラスなどの生き物と出会いさまざまな反応を示す。しかし最も強い興味を示すのは猫なのだ。オトーサンは「何故?」と俄然興味を示したのだが...。 


ワンコがワンコに興味を示すのは当然のことであり、かつそれは良いことだ。たまたま「私の犬は他の犬より人間の方に興味があって...」といった飼い主に出会うが、それはワンコのせいではなく、飼い主がそのようにさせているだけだと思う。 
それぞれ都合というものもあるだろうが、せめて外に出たさいに出会うワンコ同士は相性はあるものの、それなりに積極的な出会いを作ってあげたいと思う。 

その点ラテは社交的というか、怖いもの知らずというか、吼えられても無視されてもすれ違うどんなワンコに対しても向かっていく(笑)。そして伏せの姿勢をとり、遊ぼうというサインを出す。ミニチュア・ダックスフンドから大型犬のゴールデン・レトリーバーに至るまで区別・差別なく向かっていく。そんなときせめて鼻先を付き合わせてくれれば良いが、相手の飼い主が面倒に思うのか、無視されてすれ違ったりすると「クウン〜」と残念そうに鳴く。 
また鳩や雀あるいは野鳥がいれば追いかけるし、カラスに対しても強い反応を示すがもっとも印象的な反応を示すのがニャンコなのだ。 

ただワンコは散歩の途中でさまざまな犬種と出会うが、残念ながら猫にリードをつけて散歩している方にはまだ巡り会わないし(笑)、ノラ猫は知らないワンコと付き合ってくれるような生き物ではないので鼻をつき合わせたことはない。しかしラテはたまたま道を横断して垣根に飛び込むニャンコや塀の上に寝そべっているニャンコを見ると異常とも思えるほど強くリードを引き、吼え騒ぐ。無論ニャンコは悠然と去っていくが、その姿をまさしく悲しそうな鳴き声で見送るラテなのだ。 
翌日も同じ場所を通ると覚えているらしく、なかなかその場を離れようとはしない。 
別に異常行動ではないのだが、ラテのすべてを知っておきたいと思っているオトーサンとしては、なぜニャンコに対してこのように強烈な反応を示すのかを知りたいと思った。しかし残念なことにラテは黙して語らない(爆)。 

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※散歩の途中で出会ったニャンコたち。上は団地の植え込みの中に木製の箱が置いてある。人が近づいても動じない所から見ると、どうやら外飼いのニャンコみたいだ


女房にそのことをいうと「わかった!ラテはノラ時代にニャンコに育てられたんだ...」「きっと育ての親ニャンコを思い出しているのでは?」とアホなことをいう(笑)。 
しかし、くどいようだがニャンコに対する反応は、ワンコや他の生き物に対する反応とは明らかに違うことは確かであり、かつ怒ったり怖がったり、あるいは嫌がったりではなく「猫と近づきたい...遊びたい」と思わせる態度なのが興味をひく点なのだ。 
そりゃあ...絵としては、女房の言うようにノラ猫の腕枕で寝るノラ時代のラテの姿を想像すると可愛いし楽しいが、そんなことは滅多にあるはずもない。では何故あのような反応をするのか...。 

そこでラテをお世話してくださったボランティアのKさんに思いきってお聞きしてみたのである。ラテとニャンコに何か関わり合いの過去があるのかどうかを...。 
いやはや、Kさんからいただいたご返事は女房のノーテンキな推察どおりとはいかないものの、大いにニャンコと因縁があったのだった。それを知って合点がいき、何か胸のつかえがおりた気がした。 
ラテは推定生後3ヶ月ほどのときにボランティアのKさんに保護されたことは以前にも書いたが、実はKさんのお宅では内猫4匹、外猫3匹がいるとのこと!そして面白いことに、ラテは猫たちに遊ぼうと近寄り続け、その度に猫パンチ攻撃を受けていたという。それでも懲りずに挑戦し続けていたというところは、やはりラテらしい...(笑)。またそのニャンコたちは10歳を超えたニャンコたちなので、ラテと遊ぶには年齢差がありすぎたようだが、それでもラテは遊んでもらったと思っていたのかも知れないし、ニャンコの姿を見てKさんちでの猫との生活を思い出したのだろうか...。 
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※このラテの笑顔を見たいがために、今日もオトーサンは散歩に勤しむ(笑)


「ラテの過去にニャンコの存在があった!」。何となく微笑ましいと同時に、遊びたい盛りの子犬とはいえ、ニャンコとも友達になりたいほど愛情に飢えていたのかも知れない...そんなラテの心情を勝手に想像して思わず涙ぐんでしまうオトーサンであった(笑)。

ラテ飼育格闘日記(18)

ワンコの飼育とは散歩と食事を与えるだけを意味するのではない...。飼い主と一緒に生活する中でワンコは、リーダーと認めた飼い主からいろいろな命令・指示をされ、それらを覚えていくことで喜びを増すという。


ラテが我が家に来てから4月10日で丸4ヶ月になる。この間、まさしく怒濤の毎日であり、オトーサンとしては正直余裕の"ヨ"の字もなかった。 
ワンコの育児書を10冊ほど読み、散歩の途中で出会う先輩飼い主さんたちのアドバイスを受けたりしながら、ワンコとはどんな生き物なのかを理解しようと努力してきた。 
例えばパソコンを手にすることなく、マニュアル本だけでその真髄を習得できないのと一緒で、ワンコも理窟・理論だけではどうしようもない。ましてや相手は生き物であり、感情を持っているし意志もある。機嫌の良いときもあるし何やら不満そうなときもある。満面の輝く笑顔もあれば、見るからに落ち込んだ面相をするときもある。そしてなによりもワンコの個体差だって大きいと思う。 
ラテを飼い始めた最初はなかなか育児書のとおりにならないことで焦った...。うちのラテは特別出来の悪いワンコなのか、あるいは育児書がウソなのか、またはオーナーの私のやり方が間違っているのかを随分と考えた...。 

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※今日もまた散歩の途中でカフェに立ち寄る...。おこぼれが来るのを大人しく待っているラテ


人間と一緒に毎日を送るワンコには覚えてもらわなくてならないことが多々ある。まずはトイレの場所だ。そして噛んで良い物と悪いもの。散歩時のリードを引かずにこちらの意志に従うこと。無駄吠えをしないこと。無論飼い主達の命令に素直に従うこと...などなどである。 
生後6ヶ月ほどで生活のサイクルも環境も違う場所にポンと置かれたラテ自身も心細く困ったと思うが、オトーサンとしても初めてのワンコなので、プレッシャーが積もり積もっていった。だから信頼関係を築くと共に生活のためのルールを覚えさせることが最優先であり、「お手」とか「お代わり」といったもっともワンコらしいコマンドなど、どうでも良いと考えていた。 
なにしろ女房は「お手」などすべてのワンコが生まれつき覚えているものだと信じていたのだから困ったものである(笑)。 

前にも書いたが、ラテは「お座り」と「おいで(来い)」ができていた。だから後は余裕が出来てからでもいいや...と思っていたし、別に「お手」ができなくても生活に不自由することはないとも考えた。 
したがって最初に訓練したのは「伏せ」だった。小さな餌を与えながら繰り返し根気よく教えなければならないが、この「伏せ」はなかなか難儀した。 
私の足を床に投げ出し、その隙間に誘導する形で覚えさせろと育児書にはあったのでその通りにしてみたが、今度は足がないと伏せをしてくれないのだ(笑)。それでも最近は地面を指さしながら「伏せ!」といえばまずまず迅速に伏せができるようになった。 

さて、散歩時に公園で出会うワンコたちの中には「高速お手&お代わり」ができるワンコもいる(笑)。こちらが両手を出して「お手」と「お代わり」と言うと瞬時に反応し、2 fps (Frame Per Second)程度のスピードで前足を出すといういい子を見ていると、少々羨ましくもあり、ラテだってあの程度のことはできるはずだとオトーサンは闘争心が湧いてきたのであった(笑)。 
まあ「お手」ができなくてもいいのだが、訓練を実行せずに諦めていてはラテに申し訳ないとも思った次第...。 

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※桜満開の下を括りながらラテとの散歩は楽しい!


ということで、ダメもとでラテに「お手・特訓週間」を設け、一日あたり5分程度の訓練を数回行ってみることにしたのである。 
いやはや...結果を先に申し上げるが、親ばか丸出しのオトーサンの言うことだから、話し半分に聴いていただいてもいいが、ラテはお手の天才であった(爆)。 
なにしろ、私が右手を出して「お手」と命令するとラテは左前足をきちんと出すのにたった2日間しかかからなかった。完璧なお手だ! 
2日目の後半なんかには、おやつを見せると何も言わないのにお手をしている(爆)。 
お手は驚くほど簡単に覚えたラテだが、次に「お代わり」をさせようとするとこれは少々手こずることになった...。 
「お手」をさせ、ラテが出した手を軽く握った後に、受けた手はそのままにすぐ離すのだが、ラテは手を置いたままなのだ...。だから続けて「お代わり!」と右前足を要求すると混乱して、あるときは両前足を前に出してつんのめることになる。おいおい、天才だったはずが...おまえはアホか...(笑)。 

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※目をランランにして飛びついてくるラテ(笑)


しかし、これも命令を与える私の行動に問題があったようだ。「お手」も「お代わり」も右手で受けようとしていたのがどうやら混乱の原因だったようである。どうしても左手にオヤツを持ったりするのでそうしたことになるのだが...。 
試しにお手は右手で受け、お代わりは左手で受けるようにしたら、あらら綺麗にやるじゃん!! 
ただしまだ覚えたてである。大好物が目の前に出たときには、お手なのか飛びつきなのかが分からないほど両手を振りながら突進してくる。もう大変である。 
目はランランで口を開け、シッポを"ぶるるん"...両前足も"ぶるるん"しながら後ろ足で突進してくるラテを見ると本来なら「お座り」をさせ「お手」をさせようと思ったことなどずっかり忘れてオヤツをあげてしまう出来の悪いオトーサンなのであった。

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員