Photoshopの知られざるもうひとつの顔

昨年(2007年)10月25日、アドビシステムズはCS3でversion 10となったPhotoshopと25周年を迎えるAdobe Systemsの歴史を披露するスペシャルセッションを行った。しかしPhotoshopには一般にはほとんど知られていない歴史のひとこまもあるのだ...。


Photoshopは兄のトーマス・ノール氏とジョン・ノール氏によって開発され世に問われた。それは一般的に1990年ということになっている。実際Photoshop 1.0はAdobe Systems Incorporated.から同年にリリースされている。
すでに大成功を収めたPhotoshopに関しては多くの情報がもたらされているし、かつてアドビのサイトにもPhotoshopの遍歴情報が掲載され、例えば開発者であるトーマス・ノール氏とPhotoshopエバンジェリストのラッセル・ブラウン氏がPhotoshopの歴史を振り返る「History of Photoshop」の映像も見ることが出来た。

Photoshopは当初 ”フォトレタッチ” というキーワードを持って登場した。いわゆるペイントツールではなく写真を修正・合成するためのアプリケーションだった。なぜならそれまでアナログ(銀塩)写真に対しての編集や加工は高価なシステムと専任のオペレータを必要とした作業だったが、パーソナルコンピュータとコンシューマ用のイメージスキャナなどのいわゆるインフラが整ってきたことでデジタル画像の扱いが手軽にできるようになり、Photoshopの存在が知られるようになった。

前記「History of Photoshop」の中でも「Photoshopの歴史は1989年にさかのぼります」と明言されている。それはPhotoshopの原型をノール兄弟がAdobe社でデモをし、売り込みに成功した年代に違いない。
繰り返すがPhotoshopの原型はトーマス・ノール氏が開発したものだが、弟のジョン・ノール氏はそれを見て「これは売れるかも知れない」と気づいたという。弟のアドバイスにより機能強化されたソフトはジョン・ノール氏の手により当時カリフォルニアにある多くの企業でデモをし続けたという。
無論採用を断られたり、購入を決めてくれた企業が倒産したりとさまざまなことがあった後にAdobeとの間でライセンス契約を取り交わすことに成功する。そして1990年にPhotoshopというプロダクト名で最初のバージョン1.0がリリースされたわけだ。

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※1990年に登場したPhotoshop 1.0


まあ、Photoshopの愛好家はもとより、デザインツールとして日常活用しているプロフェッショナルにしてもPhotoshopの歴史など知らなくても何の問題もないが、よい意味で歴史を掘り起こしプロダクトの変遷を知るのが私の仕事でもあり趣味でもあるから、前記したような通り一遍の解説では納得がいかない(笑)。

Adobeがオフィシャルに語るPhotoshopの歴史は無論Adobeにとっての歴史であり、それ以前にどのような変遷があったのかについてAdobe側は興味ないだろう。したがってトーマス・ノール氏とかAdobeのスタッフでもあるラッセル・プラウン氏の口からAdobe以前の情報が語られないのも当然である。

私は当サイト「黎明期の逸品ソフトウェアたち」のPhotoshopの項最後に「Photoshopは突如として登場したものではなく過去から受け継いだ多くのノウハウを吸収・咀嚼してここまで完成度を高めてきたということだけは忘れてはならないと思う。」と簡単に閉めているが、実はPhotoshopという名称になる前、ほとんど同じ製品を他社が扱っていた事実があるのだ...。

さて、2006年のことになるがデザイナーであり多摩美術大学の講師でもある杉山久仁彦さんと知り合った際に私がソフトウェアの歴史やインターフェースを研究していることを知って彼が大変珍しいソフトウェアパッケージを送ってくださった。それがBarneyscan Corporationの「CIS XP with QuickScan」という大ぶりのパッケージだった。中には分厚いマニュアル2冊と3.5インチフロッピーディスクが2枚入っていた。

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※Barneyscan Corporationの「CIS XP with QuickScan」パッケージ(上)とマニュアルおよびフロッピーディスク(下)


この製品は当時の最速機種 Macintosh IIに35mmフィルムスキャナである「CIS・3510 Professional 35mm Scanning System」や4×5までをサポートする「CIS・4520 Multiformat Production Scanning System」を接続するという文字通りのプロフェッショナル用、業務向けシステムなのである。当時はMacintosh IIも高価だったが、この種のフィルムスキャナは数千ドルから数万ドルもしたはずだ。だから個人が使いたいからといっても簡単に入手できるものではなかった。

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※「CIS XP with QuickScan」パッケージに記されているMacintosh IIとの機器構成図


実はこのパッケージにはこうしたスキャナから画像をMacintosh IIなどにスキャニングするためのスキャニングソフト「QuickScan」と、取り込んだイメージを編集・加工するための「CIS・XP image editor」とがセットになっていたが、ここで興味深いのは「CIS・XP image editor」である。
「CIS・XP image editor」はその名の通りイメージ編集ソフトウェアであり、名前は違っているものの細部はともかく見かけはPhotoshop 1.0とほとんど同じなのである。

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※「CIS・XP image editor」のマニュアルによるツールパレット解説。前記Photoshop 1.0とまったく同一である


本来なら本ソフトウェアを起動させてその詳細をご報告したいところだが、ハードウェアの接続を図らないとソフトウェアが起動しないようなのだ。ただし杉山久仁彦さんのご記憶では単体での起動ができたはず...とのお話しもあったので何か秘密があるのかも知れない...。32-Bit QuickDrawをインストールすればモノクロシステムのMacintosh SEでも動作するとマニュアルには書いてあるが、その他Color Classicなどでの検証では今のところ起動しないのである...。

ともかく本製品はマニュアルやフロッピーディスク上のコピーライト表記などを確認する範囲ではPhotoshopのリリース年と同じ年に発売されたもののようだ。
当時、開発者のトーマス・ノール氏たちとAdobeがどのようなライセンス契約に至ったかは知る由もないが、フロッピーラベルの記述を見る限り微妙な時期であったことは想像できる。
なぜならそこには、「1988, 1989, 1990 Barneyscan Corporation.」に続き「1989, 1990 Adobe Systems Incorporated.」とあり、さらに「1988 Knoll Software」とあるからだ。

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※「CIS・XP image editor」のフロッピーラベル折り返し部コピーライト表記


前記したようにノール兄弟は開発したソフトウェアを多方面に売り込んでいたが、Adobeとのライセンス契約締結に至る前にBarneyscan Corporationとも接触があり何らかの約束事があったのだろうか。あるいは、現在のAdobeからは考えられない方策だが、Adobeとの契約後に業務用に限ってはBarneyscan Corporationにライセンスを供与したのだろうか...。

興味深いのは正式な法人であったかはともかく、Knoll Softwareという名も連なっていることだ。この時点ではすべての権利がAdobeに渡っていなかったのかも知れない。ただしマニュアルのコピーライトはこうしたフロッピーラベルの記述とは違う。そこには「Copyright 1990 Barneyscan Corporation. Portions of this manual were provided courtesy of Adobe Systems Incorporated 1989. All rights reserved.」とあり、本マニュアルの一部が1989年当時のアドビシステムズ社の好意により提供されたという記述がある。しかしそこにはノール兄弟やKnoll Softwareという名はない。

何れにしてもPhotoshopがAdobe Photoshopとして大成功するまでには一般に知られていないさまざまな曰く因縁もあったことを知っておきたい。なお手元にある「CIS・XP image editor」をうまく起動できたら、Photoshop1.0ときちんと比較の上で検証したいと考えている。


ラテ飼育格闘日記(82)

先日いつものようにラテと散歩中、すれ違った親子連れの子供がラテを指さしながら「あっ、犬だ!噛まれちゃうよ」と母親にしがみついた。その前日だったか、土佐犬が飼い主をかみ殺したというニュースがあったばかりだからその影響なのだろう..。 


一般的なワンコ、すなわち家犬が人をかみ殺すケースはこれまでにもなくはないがそんなに多いものではない。とはいえ今回のニュースも現実に飼い主が亡くなっており、他にも重軽傷者が出ているわけだから物言いは慎重にしなければならないが、こうしたニュースが犬嫌いや不当な制約に繋がらないようにしたいものだ。 
土佐犬は正確にいうなら”土佐闘犬”であり、文字通り闘犬として作られた犬種である。四国犬などにマスティフ、ブルドッグ、ブルテリアそしてグレートデンといった犬種を掛け合わせ戦うために作られた犬種なのだ。 
雄は体高は60cm以上、体重は90kgほどになり、力が強いから女性が飼うのは難しく、飼育初心者には向かないと言われている。闘犬だからして闘争本能は強く異常なまでに攻撃的になる場合もあるが、普段は主人に従順で大人しいともいう。ただし、イギリスをはじめいくつかの国では土佐闘犬などの闘犬を「危険犬種」としてペット飼育の規制対象に指定している。 

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※梅雨時でも雨の切れ目は緑が美しい


さて、ワンコが人を噛むということは十分あり得ることだ。先日は飼っているトイ・プードルに手を噛まれた飼い主さんが包帯を巻いていた。どうやら自宅で糞を片付けようとしてそれを嫌がった愛犬に噛まれたという。詳しい事情は分からないが可愛らしいトイ・プードルでも本気になったらそれはそれで大変なことになる。 
しかし一般的にこうしたケースは噛み砕こうとするのではなく、上の牙が皮膚に刺さり、人間側が噛まれるのを避けようと手を引くことで傷が大きくなることが多い。ワンコも本気で噛もうというのではなく、あくまで威嚇のために歯を当てただけ...というのが一般的なのだ。しかし手に少しでも傷がつくと我々は「噛まれた」と思ってしまうが、健全なワンコの場合ならあくまで噛むつもりではなく歯を当てるだけなのだ。 
申し上げるまでもなくワンコ達は我々のように両手を思うように使えない。親犬が子犬を運ぶにも咥えて運ぶし、叱る場合も軽く噛んだり口元を押しつけたりする。我々が手を使うほとんどの動作をワンコは口で行うわけで、歯を当てたり甘噛みすることは特別のことではない。 

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※ラテ慢心の笑顔。最近歯が白くて綺麗だと褒められた


ムツゴロウこと畑正憲氏はその著書「犬はどこから...そしてここへ」でワンコの噛むという行動は大きく3つに分けられると言っている。まずソーシャルアグレッションという社会的攻撃で前記したように歯をかみ合わせず開いたまま押しつけるものだ。次が外敵に対するエミネーアグレッションで本当の攻撃行動。最後が捕食のための攻撃であるプレデターアグレッションであるという。 
ワンコと生活する中で一番飼い主が悩むのが最初のソーシャルアグレッションという社会的攻撃だ。家族がいたとすれば最初に子供が噛まれ次に女性が噛まれることが多いという。無論飼い犬たちが人間に対して捕食のための攻撃であるプレデターアグレッションを意識することはまずないはずだ。しかしソーシャルアグレッションはかなり頻繁に毎日どこかで起きていることだろう。 
日本では届けられた咬傷例だけで年間2万とか3万件あり(前記「犬はどこから...そしてここへ」より)、届けられていないものまで含めばその何倍もあるかも知れない。 

畑正憲氏に言わせれば、この社会的攻撃を行うワンコは非行少年みたいに精神にひずみがあるからだという。そして咬み犬は人間社会の反映でもあり、飼い主のちょっとした性癖、行動が犬種によっては顕著に出てしまうらしい。 
社会的攻撃をするワンコたちは成長期の大切な時期に飼い主とあるべきコミュニケーションがなされず、信頼関係が構築されなかったことが原因である場合もあるらしいが、そもそも飼い主ののど笛に噛みついて殺傷するということは愛犬家の一人として考えたくないことであるしやはり尋常なことではない。 
闘犬が飼い主をかみ殺したその原因はそれこそワンコに聞かないと分からないが、「闘犬だから」とのひと言では済まされない問題である。確かに土佐闘犬は前記したように気性は荒く攻撃的で闘争心が強い。だから幼犬の時から忍耐と愛情を持って一貫性のある訓練をしなければならないと言われている。 
とはいえ今回の事件を飼い方がまずかったで済ませることはできないし、そんな無責任な物言いはできないが、ワンコ側から見るなら精神的な病気はともかく、何らかの引き金があったのは間違いない。 
特に雄犬にとって雌犬がからんだり、食べ物がからむと一般のワンコでも突如攻撃的になる場合がある。しかし正常な犬は、噛むという目的で見知らぬ人はもとより飼い主に飛びかかるようなことはしない。まずは態度と声で威嚇し攻撃の予告をするのが普通なのだ。問題は”正常”と”異常”はなかなか見分けられないのだが...。 

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※階下でオトーサンの呼びかけに喜ぶラテ


ラテだって何かのことでオトーサンの手などに強く歯を当てることもある。例えば彼女が怪我をしたとき、その肉球を消毒する場合にどうしても傷口を触ることになり当然痛いわけだ。綿棒で消毒液を傷口に当てた瞬間ラテは無言でオトーサンの手に勢いよく歯を当てに来た...。いわば我々が相手の嫌な行動を手で払いのける行為と同じと考えられる。 
ただし飼い始めた頃ならオトーサンも驚いて手を引くかも知れないが、最近はそうした状況もよく分かってきたしラテを信頼しているからいたずらに驚いたり怖がったりはしない。しかし歯を当てられた手はかなり痛く軽い傷が残る場合もある。 
面白いのは歯を当ててしまった後、すぐ「しまった」と思うのだろう、その場を取り繕うとすることだ。 
「ガッ」とやった後、その場所をペロペロ、オトーサンの口元もペロペロとやるのはなかなか愉快である。 

先日公園でラテは4人の男の子(小学生)に囲まれた。「かっこいいなあ」「狼みたいだね」と勝手なことを言い合っているが当のラテは尻尾をブンブンさせながら喜んでいる。ひとりの男の子が「おじさん、この犬って噛むの?」と聞く。オトーサンは「ああ、噛むよ。虐めるとね」と答えた。男の子達は「うへ~」といいながらラテを撫でてくれた。 
よく「うちの子(ワンコ)は絶対に人を噛まないから大丈夫よ」という飼い主さんもいるが、飼い主はワンコ当人ではない。何が引き金で前記したソーシャルアグレッションの行動が起きるかそれは分からない。そしてワンコとしても正当防衛もあるだろうし強度の興奮などで歯を当ててくることがあり得るから注意はしておかなければならない。 

これまた昨日のことだが、散歩中に幼児(女の子)が母親の手をすり抜けてすれ違いざまラテの頭を抱え込んだ。驚いたのは母親よりオトーサンである。いくらなんでもそんな行動は想定外のことだったし防ぎようがなかったがラテは怒りもせず歓迎もせず為すがままだった。ラテは威嚇するでもなくすぐにオトーサンの身体に前足をかけて抱っこを要求した。ラテの方がビックリしたのかも知れない(笑)。
自分の飼い犬をより美化するわけではないが、正常なワンコはこんな感じでいきなり人に対して「ガブッ」とやらないものだ。そして生意気な言い方になるがワンコと正面から向かい合い、愛犬をよりよく知ろうという努力をしている飼い主さんの愛犬は皆よい子である。 

繰り返すが健全なワンコは人に攻撃されるようなことがない限り本気で歯をむいたり、噛んだりしない。今回のような事件があるとワンコすべてが危ない存在であるかのように思われるのは悲しいことである。 
オトーサンがボールを持っているとき、それを欲しいからとラテは指ごと「ガブッ」などとは決してしない。指の置かれていない部分を咥えにかかる...。また親指と人差し指に挟むような小さなオヤツを差し出してもまずは前歯で当たりを付け、指を噛まないようにと注意をしているのがよくわかる。 
飼い主さんによっては自分の飼い犬をときどき怖いと思うときがあるというがオトーサンは一度もそんな思いにかられたことはない。ラテは生後推定6ヶ月目にオトーサンのところにやってきたから、理想的なワンコと飼い主の信頼関係を築くには少々時期が遅かったかも知れないが、オトーサンは好い子に巡り会えたと思っている。 
さて、ラテはどう思っているのだろうか(笑)。

ラテ飼育格闘日記(81)

昨年のこの時期と一緒だが、ラテが食事を食べないケースが多くなった。去年は要領がわからず、ただただラテの身体を心配していろいろと食べさすための工夫をした結果太らせてしまった。今年はその手には乗らないようにと考えているのだが...。 


すでに半年以上になるが朝晩のメニューはほぼ固定となった。ちょっとラテのメインディッシュのレシピをご紹介してみようか...。 
清潔なステンレスの食器にまず塩分の少ない煮干しを数匹細かくして入れ、その上に焼き海苔(味付けでないもの)を少々これまた小さくちぎって並べる。そして中央に半生のドッグフード、回りに体重管理用のドッグフードをデジタル秤で計量して入れる。 
この分量はラテの体調と行動そして朝晩で少し変えるが、合わせて40g程度だ。さらに鳥のササミを水炊きしたレトルト食品...もちろん犬用だが...を朝と夜で一袋の半分ずつ乗せることにしている。このウエット食が一食で約25gである。したがって重さだけなら一食全部で60g~70g弱といったところだろうか。 
したがってその1/3は体重管理用のドッグフードだし、現在17kgほどの体重であるラテの一食としてはこんなものだと思う。そして少しずつ体重管理用ドッグフードの割合を増やしている現状だ。無論それは先の健康診断で幸い問題はなかったものの、体重がオーバー気味であることは間違いないので、できるなら15kgほどにしたいと考えているからでもある。 

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※ラテの食事メニューはベースに煮干しと焼き海苔を使う(上)。その上に3種のドライとウエットフードを乗せて出来上がりだ(下)


なぜこうしたメニューになったかについてはこの一年半の格闘の結果である。ドッグフードのメーカーもいくつか変えてみたが、特に体重管理用ドッグフードはどうやら美味しさに欠けるようでラテが食べないのである。このドライフードを主食として食べさせるために身体に良くてラテが好む物をと試行錯誤した結果が煮干しと焼き海苔をひいた上にドッグフードを乗せるという工夫であった。 
しかし成長期だったこの1年半、ともかく食欲は旺盛なはずで、秋口から春先にかけては出した食器の底までなめ回すほどなのに、気候が暑くなってくると見向きもしない日が多くなってくる。 
実際に最近、特に朝はまったくといってよいほど食べない日が続いている。「この子は低血圧なのか」と心配になってくる(笑)。 
そんなわけで今年はオトーサンも要領が多少なりとも分かったことでもあり、しばらく放置しておいても食べない場合は食器を置きっぱなしにしないで片付けてしまうことにした。1食や2食抜いたから即倒れるわけではないだろうし、お腹が空けば食べるに違いないと考えたからだ。事実夜のメニューも同じだが総じてまずまずの食欲をみせる。 
昨年は「食欲がないのは病気なのかも...」と心配して、ああでもない...こうでもない...と工夫し、何とか食べてもらえるようにと苦労したが(笑)、今年は「その手に乗るものか...」といった感じでかまえている。とはいえササミやヨーグルトなどのオヤツもあげるし、散歩の途中でお仲間の飼い主さんたちに我が家では食べられない美味しいオヤツもいただける。オトーサンだってラテにねだられ自分の食事を食べさせてしまこともあるから、ラテとしては危機感はないのだろう。 
それにどう贔屓目に見てもドッグフードは美味そうには思えない(笑)。この点はやはりワンコに同情してしまうのだ。 

したがってラテの体重が減らないのか...の責任はやはりオトーサンと女房にある。ドッグフードとオヤツだけであればカロリーは計算できるしそんなにオーバーしているはずはない。問題はオトーサンたちが食事するその場にラテが乱入し、その物欲しそうな瞳で見つめられると「ま、いいか」とばかりご飯や肉類などを少しづつでもあげてしまうわけだ。その上にラテはアイスクリームにも目がない。女房の口移しでおこぼれを頂戴しようと突進してくるのである。この誘惑に逆らうのはなかなか難しい...というより無理である(笑)。 
だから最近では前記した一日2食のボリュームをさらに少なめにすることもあるが、総合栄養食品としてのドックフードではなく、行き当たりばったりのオトーサンたちの食事では栄養バランスに偏りが出る恐れもあるので考えなければならない...。しかし少しでも我々と同じものをラテに差し出すとそれが美味しいかどうかではなく「オトーサンたちと同じものを食べた」という満足感に浸れるらしい。 

それに、確かにドッグフードは栄養面では考えられている健康食であり、これと水だけあればワンコも体調よく生活できることになっている。そして人間の食べ物は味が濃くて塩分も強いから食べさせてはいけないといわれている。確かに理窟ではそうなんだろうけど、オトーサンが少年の頃度々我が家に餌をもらいに来たノラのブラッキーなどは残ったご飯に味噌汁をぶっかけたものでも結構長生きした記憶がある。 

さらにムツゴロウ動物王国の石川利昭氏著「2000匹が教えてくれた犬の真実~飼育マニュアルに吠えろ!」によれば「おいしいは嬉しい、嬉しいは生きる力」だとし、人間の残飯は貴重なエサであると力説している。 
事実ムツゴロウ動物王国のワンコのエサには人間たちの食べ残しであるソーセージ、唐揚げ、ポテトサラダなどが含まれているとのこと。そして掲載の写真にはエビフライなども写っている。 
確かに食事は命に関わる重大事だから好い加減な物言いはできないが、一生仕方なく食べるドッグフード100%のエサで長生きするより、程度問題ではあるもののオトーサンたちの食べている同じものを少しでも与え、美味しいと思って食べ、寿命が少し短命に終わってもそれはそれで幸せなのかも知れないとも思うのだ。 
オトーサンは決して美食家ではないが、ワンコならずとも、ただ単に命を長らえるための食べ物なんてものは糞くらえである(失礼)。 

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※公園で太めの枝を嬉しそうに囓るラテ。幸せそうな顔だ(笑)。しかし友達のワンコが来たのでそちらに真面目な視線を移す(下)


ではラテはオトーサンたちの食事が終わるまでテーブルの下に貼り付いて要求を続けるかというと実はそんなこともないのだ。確かに我が家に来たときにはそうした傾向があったが、最近では「ここまでかな...これ以上は待ってもダメかなあ」と自分なりに判断するらしく、ある程度まで食事が進むとラテは自分の領域に大人しく戻っていくという良い子ぶりを見せているのである。まあ、気が向くと再度挑戦のためか再び私たちの足元にうずくまっている時もあるが(笑)。 
最近では我々がアイスクリームを食べていても寄ってこない時があるくらいなのだ。これはこれでラテの健康にとっては良いことなのだろうが、逆にどうしたのか心配してしまう。 
しかしそもそも前記したようなメニューではいわゆる「満腹感」などには無縁なのだと思う。食べられるときに食べておかないと次にいつ食べられるかが分からない自然界ではともかく、飼い犬は盗み食いでもしない限り出された餌しか食べられない。その量は飼い主にコントロールされているのだから満腹になるだけの量が入っているはずもないわけだ。 
だからワンコはある意味で常に腹を空かしているといえるかも知れない。そうした状況を利用といっては何だが、だからこそ小さなオヤツひとつでも何かを教えたり訓練するのにワンコも真剣になるから効果が上がるともいえる。 

先日、約3ヶ月ぶりにラテを美容室に連れて行った。長く伸びたその姿はそれなりに良いのだがこれから暑くなる時期だし四つ足やお尻のむだ毛はすっきりさせたい。したがってシャンプーはもとよりだがトリミングをはじめ、爪切りや歯磨きといったフルコースをお願いした。連れて行ってから2時間後に終わったという電話をもらったので早速女房と一緒に引き取りに向かった。 
美容室の奥から尻尾をブンブン振って出てきたラテはオトーサンの腕に飛びついてきたので抱き上たが、料金を支払っている女房に美容室のおばさんは「いいこでしたよ」と言いながらも「どこも問題ないけど体重がちょっとありすぎね...」と説明している。それを聞いたオトーサンは「太っているんではなくて大きくなったんだよな!」と捨て台詞を小さな声で言いながら店の外に出た。シャンプーの良い香りがするラテは「そのとおり」とでもいうようにオトーサンのホッペをペロリと舐めた。 

ラテ飼育格闘日記(80)

6月10日、ラテ2歳の誕生日を迎えた。我が家に来てから長いようで短い一年半が過ぎたが、すでに毎日のタイムスケジュールはラテ中心に回っており彼女のいない生活は考えられなくなっている。 


里親としてラテを引き取るとき、それまで彼女が世話になっていたKさんに「ラテマジックにお気を付けて」と言われた(笑)。ご自身でもワンコを飼い、これまで何匹ものワンコの世話をしてこられた方の物言いである。ではラテマジックとは何か? 
ラテは無類の甘え上手だとのこと。その甘え方をラテマジックと呼んでいるのだが、なかなか上手で巧妙なためその甘えに負けてしまう。感情表現が少々オーバーでそれがまた可愛く思ってしまうのだから始末が悪い。「ラテマジックにお気を付けて」とはいたずらにラテに振り回されないように...という意味であった。 

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※ラテは6月10日の誕生日で2歳になった。でも抱っこは大好きだ(笑)


すでにこの「ワンコ”ラテ”飼育格闘日記」をお読み下さっている方はご存じだと思うが、私はワンコを飼いたいという思いが強くなり、そのために26年も住み慣れた地域から現在の場所に引っ越してきた。とはいえワンコについて知り尽くしていたわけではなく、それまで一度も飼ったこともなかったから、ワンコに対して一般的な知識しか持ってはいなかった。 
ある意味、ワンコはどれもこれも同じだという程度しか考えていなかったといえる。確かに小型から大型までの犬種がいるし、ダックスフンド、チワワ、柴犬、コーギー、あるいはゴールデンレトリーバーなどなど見映えも多種多様なワンコがいるわけだが、いま思うと恥ずかしいものの「ワンコはワンコだ」と漠然と考えていた感がある。 

だから、ラテが我が家に来る前にワンコの飼い方・育て方といった類の本を数冊買い求めてまずは読みあさった。その根底にはそうしたノウハウ本にはそれなりに普遍的で役に立つ内容が多々書かれているだろうと思ったからだ。しかし考え方や立場の違う人たちの書いた複数の本を読むことはオトーサンの頭をかえって混乱させることになった。というより犬という動物に関してのアカデミックで本格的な研究は意外と近年になってからであることも知り、かつそうした研究成果は一般の飼い主に理解される形としてはあまり紹介されていないことも分かった。 

確かに前記したようにワンコの飼育の仕方といった類の本は多いが、そのほとんどはワンコを訓練あるいは躾けという立場から捉えているためノウハウ本のような体裁が多い。吠えの問題、甘噛みの問題、抱きつきの問題、トイレの躾けといった人と一緒に生活する中での問題点をどのように是正できるかという点にポイントが向いている。そしてワンコの個性とか性格などほとんど無視されているし、ワンコ側の気持ちなど二の次であるかのようだ。 

ともかく予備知識がなかったオトーサンはその種の本を多々読んだ結果、ほとんどの本に共通の主張があることは理解できた。それはワンコはオオカミが家畜化されたものであり、社会性はもとよりその本能や行動にはいまだにオオカミの持っていたものを引きずっているということ。そしてオオカミは群れで秩序を持った行動をするため縦社会であり、飼い主やその家族を群れの一員と見なすというものだった。 

その理窟だと、飼い犬から見るとひとつの群れの中に人間と飼い犬がいるわけで、問題は誰がリーダー(ボス)になるか...ということになる。甘やかしたり間違った飼育を行うと飼い犬は自分がリーダーと思い込み...というより飼い主たちにリーダーの素質を見いだせないから自分がリーダーをやるしかないと考え...飼い主を見下した行動を取る。それが高じれば子供や女性たちから噛まれるという大きな問題行動の原因にもなり得るという理窟である。 
だから、リーダーとして家の出入りもワンコより先にしなければならないし、餌を出すときにも人の食事より先に出してはならず、ワンコを抱き上げて飼い主の目線より高くしてはいけないとそれらの本には書いてある。ただし躾けに体罰はいけないともあり、そのコントロールをどうしたらよいのかオトーサンは頭を悩ますようになった。 

しかしである。例えば「飼い犬を人の目の高さより上げてはいけない」というのならマンションの2階以上ではワンコは飼えなくなる(笑)。2階や3階のベランダから下を通る人間どもを見ているワンコはそれだけで自分は人間どもより偉いと思い込むのだろうか。 
理屈っぽいオトーサンは考え込んでしまった。さらに「ワンコはオオカミが先祖だから...」云々という事がすべての前提とされているが、その後に海外の研究家たちの本を読み進むにつれてそもそもワンコの祖先はオオカミだと言い切れるわけではないということも分かってきた。オオカミ、ジャッカル、コヨーテなどなど学説は様々だが、要は十数年万年前にイエイヌとして分化し進化してきたわけでその遺伝的すべてをそのまま引きずっているわけではないはずだ。
 
「ワンコはオオカミが先祖だから...」云々というのなら「我々人間は猿から進化した動物であり、その言動のあれこれは猿を研究することで理解できる」ということになる。無論生き物として猿人や原人の持っていた古い記憶をDNAとして持ち続けている部分もあるかも知れないが、我々は日常猿人やネアンデルタール人を意識して物事を判断していない(笑)。 

まあ、ともかくオトーサンは真面目にワンコのことを知ろうと努力すればするほど納得できない無限ループにはまりこんだ時期があった。確かにオトーサンも後々取り返しの付かないことになってはならないという強迫観念から、ラテにはかなり厳しい躾をはじめた。手加減しながら張り倒したこともあった...。幸いラテはオトーサンの手を怖がる結果にはなっていないが、オトーサンに対して信頼感は寄せるもののやはり怖い存在という観念は持ったようで、女房のいうことを聞かないときにオトーサンが顔を見せるだけで悪さを止める。 
ともかくそうしたジレンマから抜け出すヒントを得られたのは野村潤一郎、コンラート・ローレンツ、スタンレー・コレン、エーベルハルト・トルムラーそして石川利昭ら各氏の著作のおかげだが、なによりも当のラテとの1年半にわたる日々の格闘の中からラテが教えてくれたことが大きいのだ。 

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※気の合う仲間たちと取っ組み合って遊ぶラテ


彼女やその友達たちの行動を観察するに、絶対に人間とワンコを同一視しているとは思えないことを確信するに至った。動物学者や訓練士でもないオトーサンの物言いは説得力に欠けるだろうが、オオカミの子孫だからして飼い主とその家族を群れの一員と見なすという意見には納得できなくなった。というよりある意味でワンコをきちんと観察して付き合っていればそんなことはすぐに分かるのではないか...と思うまでになった。 
初対面の人や子供に向き合うラテの態度はこれまた初対面のワンコたちへの態度とはまったく違う。 
ラテは初対面の子供や幼児に対してさえ、服従の態度で接し、無論噛みつくという素振りも見せない。接触することそのものを喜んでいる。しかしワンコに対しては違う。服従の態度で接するワンコもいるものの、反対に威嚇し、最初から噛みつくような素振りを見せることも多々ある。明らかに人とワンコを区別していることになる。
 
態度や対応が違うと言うことは間違いなく人とワンコを同列に考えていないということであり、ましてや人とワンコを同一視してひとつの群れだと認識してはいないということではないだろうか。そもそも人とワンコの違いを認識できる能力をワンコは持っていると考えなければならないだろう。 
無論群れ云々以前に力関係は存在する。オトーサンは怖いが餌もくれるし散歩にも連れて行ってくれる。オカーサンはともかく優しく何をしても怒らない...などなど。そうした人間の対応にある種のランクを付けてワンコが自身の行動や態度を変えることはあるが、ことあらばリーダーの座を狙ってやろうといった類の意志があるとはどうしても思えないのだ。 
ムツゴロウ動物王国の石川利昭氏は著書「2000匹が教えてくれた犬の真実~飼育マニュアルに吠えろ!」で「犬は人間家族を群れの仲間とは思っていません。犬が人間のボスにならないように、人間も犬のボスにはなれないのです」と言っている。オトーサンには納得の箇所であった。 
いずれにしてもワンコは飼い主が考えている以上に自分のポジションを知り尽くしていると感じる。それらを忘れて羽目を外すことも多々あるものの、自身と飼い主との関係を認知しつつどこまでが自分の行動として許されるかを知っているに違いない。 

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※ラテ2歳の誕生を祝ってささやかなケーキを用意しキャンドルを灯した(上)。ラテは大人しくヨダレを一杯にしてもらえるのを待つ... (下)


ワンコは我々人間の複雑な表現方法を理解するだけでなく、自分をいかにしたら理解してもらえるかを考えて行動に移す術を心得ている。また人間のパートナーとして進化してきたワンコは聡明で学習能力が高く人の気持ちまで理解する。 
それに対して我々はあまりにもこの聡明な生き物の本質を知ろうとしないのではないだろうか。 
ワンコの問題行動のそもそもの発端は、まさしく我々が本当の意味でワンコを知ろうとしないその一点にあるような気がする。 

ラテ2歳の誕生日の夜、小さなショートケーキに数字の2の形をしたキャンドルを灯してささやかなお祝いをした。ケーキを見上げるラテの視線はとても熱く、生クリームのついたカステラを美味しそうに食べたが、ケーキのほとんどは当然のことながらオトーサンの胃袋に入ったのであった(笑)。

ラテ飼育格闘日記(79)

ワンコを飼う上で困ることの第一は吠えることに違いない。時と場所を選ばす吠え続けるなら確かに近所迷惑にもなるが、実は吠えるようなワンコにしたのは人間だという。ワンコの先祖と考えられているオオカミはほとんど吠えないのだ。 


飼い犬の困った場面のひとつに「吠える」という事実がある。玄関のチャイムが「ピンポ~ン」と鳴れば吠え出すし、訪問客はもとより郵便職員や宅配便のお兄さん、ピザ配達のお兄さんが来れば猛烈に吠えるというので多くの飼い主が困っているという。特に配達に来た人は用事が済めばすぐに立ち去るわけだが、これがワンコにして「自分が吠えたから去った」と思い込ますことになり吠えることを増長させるらしい。 
犬種や性格、そしてこれまでの飼育環境のあれこれで違うだろうが、ワンコは実によく吠えるというイメージが強い。だからワンコの飼い方・躾け方といった類の本には必ず無駄吠えの対処方法などにページが割かれている。そうした中にはワンコが吠えたとき、水で薄めた酢をワンコの頭上にスプレーすると良いとか、吠えると自動的に嫌な臭いが出る器具などが販売されているくらいである。また残念なことに飼い犬の声帯を施術により声がでないようにしてしまうケースもあるそうだが、言うまでもなくそれは行きすぎであり虐待である。 

オトーサンが現在の住居に引っ越してくる前は埼玉県に住んでいたが、マンションの隣の部屋にはダックスフンドを飼っている夫婦がいた。実はオトーサンたちが入居したときにはすでにペットを飼うことは管理組合で禁止されていたのだが、それまで飼っていたワンコを処分するわけにもいかずに一代限りということで許可されていたらしい。 
このダックスがまあまあよく吠えるのだ。どうやらいつもは室内の玄関付近にいるらしく、ウィークディのほとんどは日中飼い主不在という環境のようだった。だからひとつには寂しいから吠えるし、廊下側に人が通ればその気配で吠えるというありさまだった。 
オトーサンはワンコが好きだし、隣とはいえその吠え声も騒音というほどではなかったので正直苦にならなかったが、逆にあれだけ一日中吠えているとワンコ自身の咽がいかれてしまうのではないかと心配になるほどだった。 

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※散歩で通る道は緑が濃くなり綺麗な季節になった


ではラテはどうなのか...。散歩の途中で怖い、あるいは嫌いなワンコに遭遇すれば吠えるし、日中起きているときには出窓のたたきに寝ころびながら道行く人を観察しつつ吠えるときがある。 
出窓の下は6メートル幅ほどの道路があり、その向こう側にはいわゆる遊歩道が平行に走っている。ラテはそこを行き交う人やワンコ、自転車などに向かって吠えるわけだが、ラテとオトーサンの住み処がラテの吠え声で分かったというお仲間の飼い主さんも多々いる(笑)。 
また日中、嬉しかったりすると吠え声と態度で感情を示すが、一口に吠えるといっても多様な声を出す。何しろ我々のように言葉を喋れないのだから、声を出すとすれば何らかの吠え声になるわけだ。だから「ウォ~ン」という遠吠から「アン、アン」といった甘え声までパリエーションは豊富であり、最近では何を言いたいのかが大分わかってきたつもりである。 

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※ラテは出窓の狭いたたきに乗り、道行く人たちを観察するのが楽しみなようだ


しかしオトーサンの感想としてはそもそも普段は無駄吠えはないし夜泣きすることもなく総じてお利口さんだと思っている。それに...“無駄吠え”と言ったが、人間には無駄吠えでもワンコ側には吠える理由があると思われる。人間の子供でも泣きわめき、しまいには自分で何故泣いていたのかを忘れて泣き続ける場面があるが、ワンコにも同様な一面を感じるものの、何の意味も脈絡もなく吠え続けることは本来考えられないと思う。 
寂しいとか、かまって欲しい、お腹が空いた、あるいは怖いなどなどの理由があるはずだ。第一現在のワンコたちは我々と同様にストレスに囲まれている。一昔前みたいに野良犬同然に駆けずり回ることができず、外出時にはリードで束縛されるし、自分の行きたいところに行けない。その上散歩中にゆっくりクンクンしようとしても飼い主に引っ張られる...。 
食事だってお腹が空いたとしても食べたいときに食べれるわけではないし、好きなオモチャも飼い主が出してくれなければ遊ぶことができない。その飼い主が夜遅くにならないと帰宅しないという家もあるだろうしワンコも色々と大変なのだ。だから声ぐらい出してみようという気になるに違いない(笑)。 
こうして考えるとワンコたちは日々かなりのストレスにさらされているわけで、その上「吠えちゃダメ!」などと叱られ続けるのではたまったものではないだろう。吠えたら叱るとか薄めた酢を霧吹きで撒くといったいわゆる対処療法ではなく、本来ならなぜ鳴くのか...吠えるのかという原因を知り、なるべくその原因を取り除いてやることが必要なのではないだろうか。だからオトーサンとしては、夜とか早朝といった時間に吠え続けるのは困るが、吠えるのもワンコの務めと考え、叱るのではなく正面から向かい合ってあげたいと常々考えてきた。 
だから当初は苦手なワンコに遭遇して吠えたときには「ダメ!」と叱って止めさせようとしたが、いまではその場からラテを離すことを考えるようになった。 

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※ワンコの群れから離れて木陰で一休みするラテ


ただしラテは本格的に吠えると身体も大きくなったしマズルも長い犬種だから見事なほど大きなそしてよく通る吠え声を上げる。毎日通っている近隣の広い公園でもラテが一端吠えはじめると、その吠え声は恥ずかしいほどよく通る。そしてラテが前方にいる鳩やカラスを狙って忍び寄る姿や天を仰ぐように声を上げる遠吠えなどを見ていると「なるほど、オオカミの血を引いているな」という気がしてくる。 
しかし、実のところオオカミは我々が考えるほど、身近のワンコほどは吠えないという。それはちょっと考えれば当然で声を出すことは狙っている獲物や天敵の人間たちに居場所を知らせることになる。第一もともとオオカミは「ワンワン」とは吠えないらしい。このワンコらしい吠え声はどうやら人間と生活する中で会得されたもののようだ。 

しかし現実のワンコたちは一般的によく吠えるのも確かだ。ワンコの先祖と考えられているオオカミがあまり吠えないのにワンコたちは何故こんなにもよく吠えるのか?それは吠えるワンコを人間が欲した故である。 
これまでにも何回か人間とワンコが歴史上どのように遭遇したのか、そしてワンコはなぜ家畜化の道を選択したのか...といったことに関してお話をしてきたが、我々の祖先がワンコに期待した最初のことはいわゆる警戒ならびに警報係りだった。ワンコの寝床と食事を人が保証する替わりにワンコは外敵(他の部族や猛獣たち)の侵入をいち早く知らせ、場合によっては飼い主と一緒に戦ったわけだ。大げさでなく人類は火を手に入れたことと同じ、いやそれ以上に犬と契約を結んだことで生き延び進化ができたと考える学者もいるほどなのだ。 
したがって吠えないワンコは意味がなかったわけで、吠えるワンコ同士が意図的に掛け合わされてより吠えるワンコが増えていったと考えられる。だからワンコが吠えるのは我々の祖先の意図的な選択であり、ワンコの知ったことではないのである(笑)。 

それから吠えることは威嚇ととらえられる場合が多いがそんな単純なものではない。例えばいつも可愛がってくれる人が近づいていると挨拶のためか、遊んで欲しいという要求なのか「ウォウウォウ...ワンワン」といった吠え声を発するがそのとき尻尾はブンブンと振り回している。 
ラテは今も出窓のたたきに寝そべって道行く人たちの姿を追っているが、その表情は好奇心に満ちており、まるで自分も道行く人やワンコたちと一緒に歩いているようなつもりになっているようだ。 

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主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。日本リュート協会会員。ゆうMUG会員