デジタルから少し距離をおこうとする個人的な考察

今回のタイトルは時代に逆行したアナクロニズム丸出しの論と映るかも知れない。無論まったくの個人的な思いであり他人に押しつけるつもりはないが、40年間デジタルを追い続けてきた1人の素直な思いでもある…。それにいまデジカメ全盛時代にあの「写ルンです」が人気だとか。そうした傾向も考えると些かデジタルの疲れが溜まってきたのかも知れない。


毎年登場する新型 iPhoneやApple Watch等など新製品が発表されると心がざわつく。さらにmacOSやiOSも新しいバージョンが今後もリリースされ続けるに違いない。
それぞれが新しい機能満載だから、それらを手にすればきっと楽しいことが増え生活も便利になるだろう...。そう考えて私たちは新製品を求める。

確かにそうした類の進歩や進化を望むことは可能だ。以前できなかったことができるようになり、以前よりスピードが速く明るく鮮明なディスプレイ、あるいはより高解像度のデジカメを手にして写真撮影や編集に意欲が湧くことは素敵なことだ。
スティーブ・ジョブズは世界を変えたというしそれは確かに間違いはない。その恩恵の一部を我々も受けていることもまた事実である。

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ただし私たちはその恩恵により、より豊かに、より安全に、より楽しく毎日を過ごせるようになったのだろうか。
別に世界のあらゆる出来事をAppleに結びつける必要はないが、確かに世の中便利になったし IT 機器の進化により専門的な知識や技術がなくても高度でクリエイティブなことが可能になった。
これはデジタルカメラひとつを考えてみても確かなことで、銀塩カメラとは使い勝手もコスト面からも雲泥の利がある。
でも錯覚をしてはいないだろうか...。

クリエイティプなツールを手にしたからと言って皆が皆素晴らしい作品が作れるわけではないしiPhone 7 Plusのダブルレンズで誰もが人を驚嘆させる写真がとれるはずもない。
こんなことをいうと「夢のない奴だ」と笑われるかも知れないが、パーソナルコンピュータの黎明期から現在のデジタル化の波をモロに経験・体験してきた1人としてこれは実感なのだ。

最初はパソコン...例えばApple II が登場したとき、それはオモチャ同然だと既存のコンピュータメーカーは鼻も引っかけなかった。よくてゲーム機程度にしか評価しなかった。
私も1978年コモドール社製 PET2001というオールインワン・パソコンを買ったとき、親戚のオヤジに「いい歳して30万円ものゲーム機を買ったのか」と揶揄された。

しかしワードプロセッサやスプレッドシートのソフトウェアが登場したおかげで、そして後にDTPと呼ばれるデスクトップパブリッシングが発明されたおかげで社会のあり方は確かにかわった。
皆、時代に遅れてはならじとパソコンのキーボードに向かいワープロを覚え、マルチプランやエクセルを習い、ページメーカーを使えるようにと努力した。それが職場で生き残るためでもあったし、自分のスキルを高めて効率を上げられるからだと考えたからだ。

Tired to the digital_03

とはいえ結果はいちサラリーマンやOLたちが考えていた思惑とは大きく違った。我々は与えられた仕事を正確にそしてなるべく早く綺麗に仕上げ、その見返りとして高い評価を受け、残業をせずに定時で帰りたいと考えた。
しかし残念ながら世の中はそんなに甘くはなく、早く終わった仕事の後には別の仕事が回ってきた。結局帰宅するのはいつもの遅い時間でしかなかった。いわゆるOA化は私たちに1.5倍から2倍の仕事をさせるための手段ともなった。

例えば企業内で印刷物を作ることを考えたとしよう。私がサラリーマンになった時代はやっと大手企業に大型コンピュータが導入され始めた時代だったが、社内向け印刷物ならタイプ室という部署に和文タイプライターをこなす女性たちが専門職として存在したから、その部署に手書き原稿を渡してタイプして貰い、ガリ版で必要枚数を刷ってもらった。「これで100枚お願いします」といえば済んだ。
さらに対外的な印刷物でクオリティを求める場合は手書きの原稿とコマ割りした図や必要な写真を出入りの印刷屋に渡せば見栄えの良い印刷物ができた。
すなわち一担当の仕事は文書の内容を精査し、原稿を書くことで完結したのである。

それがDTPが登場しポストスクリプトプリンタが導入された途端に一般職にもかかわらず、原稿書きはもとよりレイアウトからデザイン、フォントの選択、印刷に至る全行程をやらなければならないはめとなった。無論DTPソフトに精通する必要があるのは当然である。
要は、大げさに言うならコンピュータは仕事のクオリティを上げたが、我々の仕事の量を桁違いに増やしたのである。
パソコンは知的自転車と賞賛され、我々の知的活動の範囲とスピードを大幅に向上させたことは間違いないが、そのサイクル幅は短くなり、結果仕事の frequency が増大することになってしまった。企業にとっては大きなメリットに違いないが人はより働き蜂になるしかなくなってしまったともいえる。

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だから、本来ならスキルを持ったサラリーマンやOLがその恩恵を被り、より豊かな暮らしができるというのがあるべき姿ではないだろうか。しかし現実を見れば企業ばかりが利益を搾取し働く人たちを社畜としていく。私にはその原動力の一つが世の中のデジタル化、IT化であるようにも思えるのだ。

元々こうしたパソコン関連の知識は技能だと考えられた。確かに当初は誰もがパソコンを操作しデジタルデータを駆使して結果を出せるわけでもなかったからそう考えられた。そして技能はビジネスに直結し、Macintoshシステム一式を揃えて望むなら誰でもがデザイナーやクリエーターになれると錯覚した時代があった。
ただしこうしたユーザーが増えるに連れてプロフェッショナルとアマチュアの差を見極める能力のない者にとっては違いがわからず、結局価格の安い”にわかデザイナー” や “素人カメラマン” にプロフェッショナルたちが駆逐される事態も頻発する。

さて、振り返ればこれまで足掛け40年間、Appleの新製品の多くを手にしてきた。近年もiPodやiPhone、iPadそしてApple Watchにしても購入した。そして大げさに言えばその際には喜びも感じたし何かを目標とする意欲も強くなったが、冷静に考えてみればiPhone 4とiPhone 5あるいはiPhone 6になったからといって私の生活の実態が目に見えて良いベクトルへ向かったわけではない。
「あっ君もiPhone 6 買ったの?僕もだ!」という世界の住人であったに過ぎなかったといえば言い過ぎであろうか。

さらに最近あらためて実感したが、私の手元にはAppleの黎明期、パソコンの黎明期からの文書や図版あるいは自身の足跡ともいえる写真などが文字通り大量に残っている。正確に言うならたまたま残ったものもあるが、意図的に集めたアイテムもある。
これらを活用するにはデジタル化やデータベース化が必須だと誰もが思うに違いないし私もその必要性を否定するものではないが、デジタル化こそがデータを生かし保存するための最良の道だとは思わない。

振り返って見ると1977年からコンピュータの世界に足を踏み入れたが、現在写真や文書が残っていない空白の時期がある。その理由はスチルカメラやデジタルカメラが登場し始めた時期だったり、新しいデータ記録媒体が登場したり、カラー画像ファイルのフォーマットが現在とは違っていたりと黎明期特有の狭間だったからだ。
当時デジタルカメラは現在の感覚からすればメチャ低解像度であり、その当時のデジタル写真はいまではブログに載せようにも使い物にならない。しかしアナログカメラで撮ったものは紙焼きとして残っている。また紙焼きだからこそ残ったともいえる。

文書データも同様だ。これまた黎明期に存在した幾多のワードプロセッサはその文書保存の際に独自のフォーマットである場合がほとんどだった。
例えばいま、その文書ファイルを参照したいと思ってもそれを入力したアプリケーションがなければ再現できない。幸いそのアプリケーションを保存していたとしてもそれをインストールし起動するには適合するハードウェアが必要だし、第一近年のOSでは使えない。念を入れてTEXTフォーマットでコピーしていたものしか再現できないのだ。
さらにCD-Rやハードディスクに保存したがために読めなくなった貴重なデータも数多く、思い出したくもない(笑)。それに現在主流になっているクラウドだって、いつサービスが終わるか分かったものではない。

ついでといってしまえば iPhoneといったスマートフォンの登場はソーシャルネットワークの登場もあって「人と人とを繋げるデバイス」と歓迎された。確かにそうした現実も否定しないが周りをよく観察してみれば、社内や家庭においてもそこに相手がいるにも関わらず会話はスマートフォンによるメッセージで、といったケースが増えている。
いや、道を行き交う人々を見れば一目瞭然に違いない。友人と歩きながら、犬の散歩をしながらスマートフォンに向かっている人たちのなんと多いことか。
そうした現実を見るとテクノロジーは人と人を繋いだのではなく人と人とを隔絶させる役割を果たしていると思わざるを得ない。
現代の我々は人間関係の絆の生々しさを薄める感のあるSNSを求めているのかも知れない。

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私にとってMacはなくてはならない道具だが、他にも様々やりたいことが山ほどある。犬との散歩、楽器の演奏、読書、好きな音楽に身を任せること、時には等身大の女性像を造形したり最近は時代小説を書き始めるなど仕事とは距離をおいたミッションもある。

そして「手元の年賀状や領収書はすべてスキャナでデジタル化しましょう」といういった勧めもあるが、私はあえてそれはそれとしても最重要な紙ベースの資料はアナログのまま保存しておくべきだと考えている。さらにデジカメの写真も "これは" と思った一枚はプリントアウトしておくべきだとつくづく思う。
これまで多くのデジタルデータを失った自戒を込めて...。

また他人がどう思うかはともかく、私は電話やソーシャルネットワークで友人知人たちと情報交換するより、一緒に飯を喰いながら、あるいは肩を並べて歩きながら議論する方が好きだ。
バーチャルリアリティも益々期待が高まっているが、それらが有効なのは通常では体験出来得ないものが対象のときではないだろうか。できうるならこの目で現実を見つめ、空気の冷たさや臭いを感じ、この手や指で物に触れ、目の前に座っている友人知人たちと議論をするといった日常をより多く体験したいとつくづく思う今日この頃である。
まあ、こうした感慨に耽るのはまさしく歳をとったということなのかも知れないが…。



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Author:appletechlab

主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。マネキン造形研究中。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。日本シャーロック・ホームズクラブ会員。ゆうMUG会員