初めて仕事として制作したMacでアニメーションの思い出
何にでも最初、始めてというものがある。私にとってマイコンはもとよりPET 2001やApple IIそして最初のMacintoshは個人の楽しみであり、仕事にかかわることではまったくなかった。しかし1987年、Macによる動画制作の依頼がはじめてあり、私は社長の命で数分のアニメーションを仕事として作ることになった。
ただし社内に目を向ければ、貿易業務の一端を何とかパソコンで効率よく処理できないかと自前で買った最新鋭のパソコンを会社に持ち込み、BASICでプログラミングし、ある種の書類作成の自動化を図ったりと試行錯誤をしていた時代だった。
とはいえ資料作りにしろ、パソコンから生み出される結果・成果は社内の効率化・合理化のためであり、それが直接金を生むということはなかったし正直考えたこともなかった。
個人的にコンピュータ雑誌に原稿を書き、その原稿料がよい副業となっていた頃でもあったが、会社の仕事として外部からなにがしかのデジタル的な受注をコンピュータで制作するなどまだまだ先のことだと考えていた。
さて1987年といえば最初のカラーをサポートしたMacintosh II がリリースされた年でもあった。そして私はといえば、夏休みを利用し7月27日から31日の5日間、米国ロサンゼルス郊外のアナハイムで開催された世界的CGの祭典「SIGGRAPH」に参加した年でもあった。私の頭の中はコンピュータグラフィックス、コンピュータアニメーション一色だったといえる。
その「SIGGRAPH」から戻った直後だったと思うが、社長から「後で雪印のAさんがくる。君に頼みたいことがあるので同席するように」といわれた。
私の勤務先は従業員数人の小さな貿易商社だったが、行き掛かりは知らないもののAさんは雪印乳業(当時)○○工場の工場長だった。したがって顔は知っていたがそれまで挨拶程度で仕事の会話に加わったことはなかった。それが同席しろとはどういうことなのか、一瞬怪訝に思ったがそこはサラリーマンの気楽さですぐに忘れた(笑)。
雪印からの依頼は私にとって大変エキサイティングな内容だった。というか考えたこともないようなことだった。
それは同社がセンサー技術を応用して開発した動粘度モニタリングシステムの核となるRHEO CATCH (レオキャッチ)という粘度計を説明紹介するアニメーションを作ってくれというものだった。
1987年といえば30年前であり、アップルもそしてMacintoshもマイナーな存在だった。したがって企業が広告宣伝やアピールのために動画やアニメーションを作るとすれば広告代理店や専門の映像プロダクションに依頼してビデオ映像作品として制作するのが当然の時代だった。あるいはマスコミへの発表の場でもせいぜいプロジェクターやスライドによる告知しか考えられなかった。
それがどういう風の吹き回しかMacintoshのアニメーションとして作れないかという。
ひとつには社長がなにがしかの仕事を取りたくて、私の存在をオーバーに訴えたのかも知れない。事実私の個人としての名前は「MACLIFE」といった創刊したばかりの専門誌に載っていたし、ジャストシステムの図形処理名人「花子」のマニュアル本も出版されたばかりだが早くもベストセラーになっていたから針の穴のような狭い世界だとは言え知られる存在になっていた。
最初に問われたのは3分ほどのアニメーション制作で費用はどの程度かという点だった。その頃は前記したカラー版Macがやっと登場したばかりで高価なこともあって普及には些か時間がかかると思われていたし、カラー対応のソフトウエアも大変少なかったから一体型Macでモノクロの作品、それも9インチという小さな画面で作るしかなかった。後は画面をフリッカーが目立たないようにビデオ撮影して活用することを考えていたらしい。
ともかく私が雪印からの仕様を考慮した見積額は50万円だったと思うが、ビデオで制作するよりずっと安いと一円も値切られず契約となった。

※1987年9月に納入したMacによる最初のアニメーション作品。成果物のバックアップフロッピーディスク
決まった大きな要因としては私がVideoWorks IIというアニメーションソフトで簡単な試作品を見せたからに違いない。何しろコンピュータアニメーションが目の前で描かれ、それが動くというシーンを見たことのある人など業界人以外にはまだまだいない時代だったから、それだけで驚かれた。

※VideoWorks II は優秀なアニメーションツールで後にDirectorへと進化する
同社から新製品の粘度計カタログをいただき、何をどのようにアピールしたいのかを打ち合わせた結果半日程度でプロトタイプができた。
それは個人的に当時としては珍しいMacintosh用のビデオデジタイザやイメージスキャナなどの周辺機器が揃っていたこと、そしてVideoWorks IIの扱いに十分精通していたからだ。



※VideoWorks II によるアニメーション画面例
微調整およびクライアントの要望を踏まえた変更は会社に導入されたMacintosh SEで即対応できた。
「ここはこうならないか」という要望希望を目の前で手直しして作品に即反映する様も驚かれた。ビデオ作品では編集でなんとかなる範囲の変更ならともかく撮り直しとなれば費用も時間も大幅に変わるからだ。
こうしてプレゼン用アニメーションは無事に納品となったし請求額もきちんといただいた。といってもサラリーマンの私の懐に入るものではないが(笑)。
このときの経験、インパクトは私にとって非常に大きなものだった。前記した「SIGGRAPH」で見た世界も含め、デジタル作品やソフトウェアの開発といったものが立派なビジネスになる事を確信した瞬間だった。
その2年後に私は会社を辞め、Macintosh用専門のソフトハウスを起業することになるが、まさしくVideoWorks IIによるアニメーション制作は人生の分岐点となった。
ただし社内に目を向ければ、貿易業務の一端を何とかパソコンで効率よく処理できないかと自前で買った最新鋭のパソコンを会社に持ち込み、BASICでプログラミングし、ある種の書類作成の自動化を図ったりと試行錯誤をしていた時代だった。
とはいえ資料作りにしろ、パソコンから生み出される結果・成果は社内の効率化・合理化のためであり、それが直接金を生むということはなかったし正直考えたこともなかった。
個人的にコンピュータ雑誌に原稿を書き、その原稿料がよい副業となっていた頃でもあったが、会社の仕事として外部からなにがしかのデジタル的な受注をコンピュータで制作するなどまだまだ先のことだと考えていた。
さて1987年といえば最初のカラーをサポートしたMacintosh II がリリースされた年でもあった。そして私はといえば、夏休みを利用し7月27日から31日の5日間、米国ロサンゼルス郊外のアナハイムで開催された世界的CGの祭典「SIGGRAPH」に参加した年でもあった。私の頭の中はコンピュータグラフィックス、コンピュータアニメーション一色だったといえる。
その「SIGGRAPH」から戻った直後だったと思うが、社長から「後で雪印のAさんがくる。君に頼みたいことがあるので同席するように」といわれた。
私の勤務先は従業員数人の小さな貿易商社だったが、行き掛かりは知らないもののAさんは雪印乳業(当時)○○工場の工場長だった。したがって顔は知っていたがそれまで挨拶程度で仕事の会話に加わったことはなかった。それが同席しろとはどういうことなのか、一瞬怪訝に思ったがそこはサラリーマンの気楽さですぐに忘れた(笑)。
雪印からの依頼は私にとって大変エキサイティングな内容だった。というか考えたこともないようなことだった。
それは同社がセンサー技術を応用して開発した動粘度モニタリングシステムの核となるRHEO CATCH (レオキャッチ)という粘度計を説明紹介するアニメーションを作ってくれというものだった。
1987年といえば30年前であり、アップルもそしてMacintoshもマイナーな存在だった。したがって企業が広告宣伝やアピールのために動画やアニメーションを作るとすれば広告代理店や専門の映像プロダクションに依頼してビデオ映像作品として制作するのが当然の時代だった。あるいはマスコミへの発表の場でもせいぜいプロジェクターやスライドによる告知しか考えられなかった。
それがどういう風の吹き回しかMacintoshのアニメーションとして作れないかという。
ひとつには社長がなにがしかの仕事を取りたくて、私の存在をオーバーに訴えたのかも知れない。事実私の個人としての名前は「MACLIFE」といった創刊したばかりの専門誌に載っていたし、ジャストシステムの図形処理名人「花子」のマニュアル本も出版されたばかりだが早くもベストセラーになっていたから針の穴のような狭い世界だとは言え知られる存在になっていた。
最初に問われたのは3分ほどのアニメーション制作で費用はどの程度かという点だった。その頃は前記したカラー版Macがやっと登場したばかりで高価なこともあって普及には些か時間がかかると思われていたし、カラー対応のソフトウエアも大変少なかったから一体型Macでモノクロの作品、それも9インチという小さな画面で作るしかなかった。後は画面をフリッカーが目立たないようにビデオ撮影して活用することを考えていたらしい。
ともかく私が雪印からの仕様を考慮した見積額は50万円だったと思うが、ビデオで制作するよりずっと安いと一円も値切られず契約となった。

※1987年9月に納入したMacによる最初のアニメーション作品。成果物のバックアップフロッピーディスク
決まった大きな要因としては私がVideoWorks IIというアニメーションソフトで簡単な試作品を見せたからに違いない。何しろコンピュータアニメーションが目の前で描かれ、それが動くというシーンを見たことのある人など業界人以外にはまだまだいない時代だったから、それだけで驚かれた。

※VideoWorks II は優秀なアニメーションツールで後にDirectorへと進化する
同社から新製品の粘度計カタログをいただき、何をどのようにアピールしたいのかを打ち合わせた結果半日程度でプロトタイプができた。
それは個人的に当時としては珍しいMacintosh用のビデオデジタイザやイメージスキャナなどの周辺機器が揃っていたこと、そしてVideoWorks IIの扱いに十分精通していたからだ。



※VideoWorks II によるアニメーション画面例
微調整およびクライアントの要望を踏まえた変更は会社に導入されたMacintosh SEで即対応できた。
「ここはこうならないか」という要望希望を目の前で手直しして作品に即反映する様も驚かれた。ビデオ作品では編集でなんとかなる範囲の変更ならともかく撮り直しとなれば費用も時間も大幅に変わるからだ。
こうしてプレゼン用アニメーションは無事に納品となったし請求額もきちんといただいた。といってもサラリーマンの私の懐に入るものではないが(笑)。
このときの経験、インパクトは私にとって非常に大きなものだった。前記した「SIGGRAPH」で見た世界も含め、デジタル作品やソフトウェアの開発といったものが立派なビジネスになる事を確信した瞬間だった。
その2年後に私は会社を辞め、Macintosh用専門のソフトハウスを起業することになるが、まさしくVideoWorks IIによるアニメーション制作は人生の分岐点となった。
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