ホテルの一室でApple本社スタッフに囲まれたプレゼンの目的とは?

過日幾人かの方たちと集まったとき、プレゼンテーションの話になった。Keynoteの使い方から話術の話となり、やはり十分な準備が出来ていない場合はミスも多く緊張する...といった会話が続いた後「これまでで一番緊張したプレゼンはどんなシチュエーションだったか...」という話題になった。

 
クライアントに対しては勿論、講演やイベントなどで多くのプレゼンテーションをこなしていた時代は自分でいうのもおこがましいが、緊張するといった意識はほとんどなかった。
それは自社製品をターゲットにしたものであれ、Macintoshの存在意義や近未来におけるソフトウェアの展望といったテーマにしろ、常々自身が考えビジネスとして関わっていたことだから自信があった。それに自社製品のデモをやらせていただく機会があれば嬉しくて仕方がなかった…。

したがって最低50人の参加者を集めるからと呼ばれたイベントの席にたった4人しかいなくても、逆に数百人の聴衆の前でも私は楽しんでお話しをしてきたつもりである。そして10分間で喋れといわれれば丁度10分で、90分間喋ってくれといわれば係の方が驚いてくれたほどピッタリ90分で話を完結する。それがプロフェッショナルだと自負しているからでもある。
ただし私は自信家ではない。したがって重要なプレゼンの前には夜遅くまで一人練習を続けたことも事実である。そのために本番前に舌を傷つけて苦しいプレゼンとなったこともあったがそれもこれも話をさせていただく機会に感謝しつつ楽しんできたつもりだから緊張とは無縁だったといってよい。

そういえば起業して数年たった頃だったか、テレビの深夜番組に出演することになり録画のために借りたという洒落たお店に勇んで向かったことがある。
メジャーなテレビ番組に出ることは初めてだったが、そこで自社開発ソフトウェアを中心にMacintoshでいかに面白いことができるか...最先端のパソコンの世界はどのようなものなのかを解説する役目を仰せつかったのである。
私は自社スタッフをひとり連れて撮影現場に望んだが気負いはまったくなかった。ただし後で聞いたことだがその放映を知った友人達は私以上に楽しみにしていたことがあったという。

それは私がいかに本番でドギマギし、緊張し、しどろもどろになり、アタフタするであろうその姿を...である(笑)。
皆それぞれテレビカメラの前ではいかに緊張せざるを得ないかを知っているからであり、初めてのテレビ出演ともなれば平常心で臨むことは難しいことを心していたからである。

しかし残念ながら私は彼ら彼女らの期待を完全に裏切ってしまった(笑)。
これまた自分でいうのも変だが、終始リラックスして司会者との質疑にも対応できたし、ソフトウェアのデモもそつなくこなすことが出来た。
友人の一人は「なぜ終始あのようにニコニコしていられたのか...」と訝しそうに言ったが、私にとってその場は文字通り楽しかったのである。それに話題はMacintoshのことであり自社を含めたソフトウェアの話である。どう間違っても...すべるはずはないではないか...。

さて本題だが、そんな私でも緊張したプレゼンの思い出がないわけではない。
それは1999年1月7日、サンフランシスコのマリオットホテル一室で行った自社開発製品「CutieMascot (キューティマスコット)」をプレゼンしたときのことだった。無論その時期にサンフランシスコにいたのはMacworld Expo視察のためである。そしてこの時期毎年現地にスタッフ等と出かけていたことを知っていた当時のアップルコンピュータ(株)デベロッパー・リレーションズの担当課長H氏から米国へ出発前に「現地でCutieMascotのデモをやっていただきたいので準備を」という依頼があった。

Presentation1999_01b.jpg

※朝日に輝くマリオット・サンフランシスコホテル。筆者撮影


話によれば相手はApple本社の連中だというので英文カタログの準備を怠らないようにしたが、H氏は私が英語不得手なのをご存じでもあり「大丈夫、私たちがきちんと通訳しますから」といってくれていたのでそれこそ深く考えずに「承知しました」と請け負った...。

とはいえ詳しい日にちや時間、場所などは現地で連絡を取り合うことになっていた。
当時の私は現地で使える携帯電話を日本でリースしてサンフランシスコに持ち込んでいたこともあって気楽に考えていたフシがある。
ただしひとつ不透明なこと...理解できないことがあった。それはこの時期になぜApple本社の人間に「CutieMascot」のデモをしなければならないのかということだ。

本ソフトウェアはお陰様で多くのMacintoshユーザーに愛していただいていたし、Performaへのバンドルも含めて認知度は高かった。しかし英語版のアプリケーションは用意してあったものの我々の人的パワーが貧弱なために積極的に海外へ売り込むこともできないでいた。
その「CutieMascot」を何故このタイミングでプレゼンテーションする必然性があるのか...それもApple本社の人たちに...といったことが気になり頭から離れなかった。

結局1999年1月7日、Macworld Expo会場に隣接するマリオットホテルの一室に呼ばれた私はそこで「CutieMascot」の特徴と概要をプレゼンすることになったのである。
このとき私の誤算があったことは米国Apple本社のスタッフが1人2人ではなく何と7人も集まったことだ。

当時の記録と名刺を付き合わせてみると、そのとき同席したのは日本からアップルジャパンのHを含む2人、そしてApple本社からは前年1998年のExpo/Tokyoでお会いしたこのとあるSenior Manager, International/Worldwide Developer RelationsのStefan Schaefer氏をはじめ、Manager, Consumer & Games/Worldwide Developer RelationsのNancy Underwood氏、Partnership Manager/Worldwide Developer RelationsのMark Gavini氏、Manager, Worldwide Developer Relations/Asia PacificのEshwar Vangala氏、Senior Derector/Consumer MarketingのPeter Tamte氏らと後2人ほどいたと思う。
なおStefan Schaefer氏以外は皆さん初対面であった。

Presentation1999_02.jpg

※その日、ホテルの一室に集まってくれたAppleのスタッフ達の名刺(一部)


思っていた以上の人数に囲まれた私は珍しくその場の雰囲気に飲まれて少々緊張していた。それは繰り返すが今回のプレゼンの目的がはっきりしていなかったことが原因でもあった...。
すでに数え切れないほど様々な場面でデモをしてきた自社製品のプレゼンなどいまさら緊張するはずもないのだが、私の座った回りから息がかかるほど覗き込まれるような環境と彼ら、彼女らのどこかリラックスしていない様子が気になり最初はやりにくかった…。

それにプレゼンはそもそもがその目的...すなわち相手が何者で何のためにここにいるかを知っていなければデモのポイントや山場の演出がやりにくいのだ。
彼らの入室前にH氏に今回の主旨をたたみ込むように聞いてみたが、なにかはぐらかされた感じもして納得できる回答はもらえず、「日本のデベロッパー代表としてこうした優れたアプリケーションも存在するんだぞ」といったことをApple本社側にアピールする意図ではないか...などと思わざるを得なかった。

PowerBook2400c1999.jpg

※プレゼン前夜、ヒルトンホテルにて持参した英文カタログやデモCDなどを確認しつつ準備をしているところ


時間にして3, 40分程度だったのだろうか、私が持参したPowerBook2400c1台によるプレゼンは決して見やすい物ではなかったと思うが、私はいかに簡単にいわゆるインタラクティブなアニメーションが作れるか、そして参加者すべてがAppleの人間だということを意識し「CutieMascot」ひとつにQuickTimeは勿論Speech Manager、English-Speech Recognition、AppleEventなどなどAppleの提供している多くのテクノロジーを数多くサポートしていることを強調した。まさしくAppleテクノロジーのオンパレードのようなアプリケーションなのだからそれは真実なのだ。

さらに重要なことはこの種のことを実現するため、一般的には機能拡張やある種のトリッキーなコードを書くはめになるのだが「CutieMascot」は一切そうした危ない要素はなく、Appleの開発セオリーに則ったアプリケーションであることも強調した。

プレゼンが終わりいくつかの質疑を受けたが彼ら彼女らは意外にあっさりと部屋を出て行った。
私の言いたいことがそのまま彼ら彼女らに伝わったかについては少々心許なかったが珍しく緊張していたのだろう...マウスを握っていた掌が湿っていた(笑)。

不明だったなぜあの時期に「CutieMascot」のプレゼンだったのか...についてはその年の5月になって初めて思い知ることになる。
ご承知の方も多いと思うが1999年5月のWWDCの場で「CutieMascot Jr.」が日本のデベロッパーとしては初の “Apple Design Award の最優秀技術賞” を受賞したからであった。

無論Appleには締め切りぎりぎりだったものの別途既定に則りApple Design Awardへエントリーするため資料を一式郵送したわけだが、お膳立てをしてくれたアップルジャパンの担当者らを含め、「何とか日本のデベロッパーの中からApple Design Award受賞を実現しよう」という場があのプレゼンテーションの機会だったのではなかったかと私は思い当たり、その場の雰囲気や彼ら彼女らの質疑の意味がやっと理解出来たのである。
そしてMacworld Expoの機会にサンフランシスコに入る私に「CutieMascot」のデモをさせるための機会を作っていただいたものと思われる。

さらにそのExpoから帰国した翌月、私はMACWORLD Expo/Tokyo '99の際にアップル主催のパーティーにおいてA&A社の新庄社長から紹介されたApple本社 Worldwide Developer Relationsのコンシューマー&エデュケーションディクターのTony Lee氏に手紙を書き、自社開発製品の中でも最もアップルらしいアプリケーションと評価をいただいていた CutieMascot Jr. (キューティ・マスコット)のサンプルをお送りした。無論それはCutieMascot Jr. を米国本社に知ってもらうための工作だった。

Letter to Apple

※1999年2月、私はApple本社 Worldwide Developer RelationsのTony Lee氏に長い手紙を書いた。1月の米国でのプレゼンを踏まえ CutieMascot Jr. をより米国本社に知ってもらうための工作だった(掲載の手紙は1ページ目)


自身の力を過大評価するつもりはないしApple Design Awardを受賞した「CutieMascot Jr.」は間違いなくそれだけの価値・意義を持った優れたアプリケーションだと今でも確信しているが、物事は事前の根回しやらも重要であり、優れたものが単純に賞を取れるほど世の中は甘くはない。それに残念ながらApple本社の関係者たちはそれまで「CutieMascot」の存在はもとより、そのソフトウェアのコンセプトなどまず知らなかったはずだ。

当時の私はこの時のプレゼンや様々な工作とApple Design Award受賞の関係を自社スタッフらにも話したことはない。したがって開発者はもとよりスタッフらも純粋にソフトウェアが優秀故の受賞と考えていたかも知れないが、あのときサンフランシスコ/マリオットホテルの一室でのプレゼンテーションはもとよりその後のフォローや工作なくしてApple Design Awardの受賞はなかったと密かに自負している。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員