私の桜・サクラ・さくら...考
各地で桜の便りが聞かれる...。私の住んでいる東京都下も見所のピークは過ぎつつあるが、桜を見ていると子供の頃から受けた教育のせいなのか、あるいはDNAに刻み込まれたものなのかは分からないが綺麗とだけ言っていられない何かを感じる。
満開の桜並木を仰いでみると、まさしく花酔いしそうな美しさだが、同時に壮絶な感じも受ける。「同期の桜...」といった軍歌の文句ではないが、桜にはどうにも戦争や血といった連想をぬぐい去ることができない気がするのは私だけではないと思う...。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
桜満開のいま、その桜についてちょっと調べてみた...。
桜に関わる祭りごとは各地にあるそうだが、京都平野神社の平野桜祭などは有名なようだ。そして吉野を代表とする桜の名所も数多い。しかしその桜は "めでたい" と手放しで喜ばれる花ではない。例えば花見時には婚礼を行うのを嫌う風習がある土地や、壱岐島のようにサクラを焚くことを忌む土地もあるという。
もともと「花見」という3月3日頃に山野に遊び、一日を過ごすという春の行事は農家にとって忙しい時期に入る儀礼のひとつでもあったという。なぜなら桜の開花により、農作業の時期を知ることができたとされ、事実「種蒔桜」といって、種蒔きの時期を桜の開花で判断することも行われてきた。同様に長野県下伊那郡では「苗代桜」というモミまきの時期を桜の開花時期で知る慣習があった。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
また桜については伝説も多く、弘法大師がサクラの杖を地面に挿したのが花を咲かせたという「世の中桜」という話があるし、桜の花の多い枝の方角が豊作、少ない枝の方角は不作と伝えられている地方もあるそうだ。
また兵庫県明石市の人丸神社には「盲杖桜」というの話があるという。
昔、筑紫(福岡県)からきた1人の盲人が人丸の塚に詣で、「ほのぼのと誠あかしの神ならば、我にも見せよ人丸の塚」と詠むと、たちまち目があき、大いに喜んで、不要となった杖を地に挿したものが成長したという伝説だ。こうした桜の霊木というものが各地に存在する。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
文化史的にも桜は古くから人々の暮らしに馴染みがあったようで、縄文時代前期の地層から出土した弓は両端の弦をかけるところの部分をサクラの樹皮で丹念に巻いて補強し、赤い漆を塗ったものが三例発見されているそうだ。いまでも桜の樹皮の細工物があることはご存じの通りである。
それから古代に鹿の骨や亀甲を焼いて吉兆を占うことはその昔に学校でも習ったが、その際に使った薪がウワミズザクラであったことは、古事記その他に記録されているそうである。占いには桜の木でなければならなかったわけだ。
やはり古代から桜は私たちの文化に根強く関わっているが冒頭に書いたように桜の印象はやはり戦争や血を思い出させるような悲しい印象があるのも事実。桜の古木などには思わず手を合わせてしまう私である(笑)。
そういえば、「桜」と書くのと「サクラ」あるいは「さくら」と書くのでは大きく印象が違うというのも面白いと思う。 ちなみに愛用のマゴノテは桜材である…。
またすでに亡くなった両親を連れ女房と一緒に桜の咲く時期に京都を度々訪れたことも良い思い出だ。わざわざ新幹線で桜を見に行ったにもかかわらず、まだ咲いてなく両親に残念がられたこともあった。
円山公園の桜、哲学の道に咲く桜、平安神宮の桜、清水の舞台から眺める桜…などなどを思い出すと不思議に父や母の喜んでいた姿を思い出す…。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
今年もあらためて花見の時間はとれなかったが日々愛犬との散歩時に近隣に咲く様々な桜と接し愛でてきた。したがって残念ながら酒や団子とも無縁だったが、あのむせるような満開の桜に囲まれたひとときは異次元世界に迷い込んだようで得難いものだった。
【主な参考資料】
小学館スーパー・ニッポニカ「日本大百科全書」Macintosh版
満開の桜並木を仰いでみると、まさしく花酔いしそうな美しさだが、同時に壮絶な感じも受ける。「同期の桜...」といった軍歌の文句ではないが、桜にはどうにも戦争や血といった連想をぬぐい去ることができない気がするのは私だけではないと思う...。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
桜満開のいま、その桜についてちょっと調べてみた...。
桜に関わる祭りごとは各地にあるそうだが、京都平野神社の平野桜祭などは有名なようだ。そして吉野を代表とする桜の名所も数多い。しかしその桜は "めでたい" と手放しで喜ばれる花ではない。例えば花見時には婚礼を行うのを嫌う風習がある土地や、壱岐島のようにサクラを焚くことを忌む土地もあるという。
もともと「花見」という3月3日頃に山野に遊び、一日を過ごすという春の行事は農家にとって忙しい時期に入る儀礼のひとつでもあったという。なぜなら桜の開花により、農作業の時期を知ることができたとされ、事実「種蒔桜」といって、種蒔きの時期を桜の開花で判断することも行われてきた。同様に長野県下伊那郡では「苗代桜」というモミまきの時期を桜の開花時期で知る慣習があった。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
また桜については伝説も多く、弘法大師がサクラの杖を地面に挿したのが花を咲かせたという「世の中桜」という話があるし、桜の花の多い枝の方角が豊作、少ない枝の方角は不作と伝えられている地方もあるそうだ。
また兵庫県明石市の人丸神社には「盲杖桜」というの話があるという。
昔、筑紫(福岡県)からきた1人の盲人が人丸の塚に詣で、「ほのぼのと誠あかしの神ならば、我にも見せよ人丸の塚」と詠むと、たちまち目があき、大いに喜んで、不要となった杖を地に挿したものが成長したという伝説だ。こうした桜の霊木というものが各地に存在する。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
文化史的にも桜は古くから人々の暮らしに馴染みがあったようで、縄文時代前期の地層から出土した弓は両端の弦をかけるところの部分をサクラの樹皮で丹念に巻いて補強し、赤い漆を塗ったものが三例発見されているそうだ。いまでも桜の樹皮の細工物があることはご存じの通りである。
それから古代に鹿の骨や亀甲を焼いて吉兆を占うことはその昔に学校でも習ったが、その際に使った薪がウワミズザクラであったことは、古事記その他に記録されているそうである。占いには桜の木でなければならなかったわけだ。
やはり古代から桜は私たちの文化に根強く関わっているが冒頭に書いたように桜の印象はやはり戦争や血を思い出させるような悲しい印象があるのも事実。桜の古木などには思わず手を合わせてしまう私である(笑)。
そういえば、「桜」と書くのと「サクラ」あるいは「さくら」と書くのでは大きく印象が違うというのも面白いと思う。 ちなみに愛用のマゴノテは桜材である…。
またすでに亡くなった両親を連れ女房と一緒に桜の咲く時期に京都を度々訪れたことも良い思い出だ。わざわざ新幹線で桜を見に行ったにもかかわらず、まだ咲いてなく両親に残念がられたこともあった。
円山公園の桜、哲学の道に咲く桜、平安神宮の桜、清水の舞台から眺める桜…などなどを思い出すと不思議に父や母の喜んでいた姿を思い出す…。

※クリックで拡大(SIGMA DP3 Merrillで撮影)
今年もあらためて花見の時間はとれなかったが日々愛犬との散歩時に近隣に咲く様々な桜と接し愛でてきた。したがって残念ながら酒や団子とも無縁だったが、あのむせるような満開の桜に囲まれたひとときは異次元世界に迷い込んだようで得難いものだった。
【主な参考資料】
小学館スーパー・ニッポニカ「日本大百科全書」Macintosh版
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