MacintoshとLisaのFont 秘話

スティーブ・ジョブズは2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で後世に残るであろう名スピーチを披露した。その中で彼は大学を中退後calligraphyの授業を受けたことが10年後最初のマッキントッシュを設計する際に役に立ったといい、もし大学を中退してその授業を受けていなければ、Macが複数の書体やプロポーショナルフォントを持つことはなかっただろうと言い切った…。


いまから思えば1984年に登場したMacintoshのフォントはモニタ表示も印刷も決して精緻なものではなかったが当時はもの凄く美しく思えた。
それまでのパソコンはいわばフォントというものを蔑ろにしていた。第一現在のように白い背景に黒い文字ではなく当時は黒い背景に白、グリーンといった文字が表示されていたのである。
だからこそMacPaintやMacWriteでまさしく白い用紙をイメージしたモニタに思うさま複数の書体を混在できたとき胸が躍った…。そればかりでなくそのプロポーショナルなフォントは本当に美しかったのである。

さて、スティーブ・ジョブズの物言いのあら探しをするわけではないが、彼はMacプロジェクトを手がける前にLisaというスーパーパソコン開発の責任者だった。
その後彼がそのLisaプロジェクトの開発責任者から外され、その憤懣やるせない思いを埋めるために当時ジェフ・ラスキンが小さなプロジェクトとして進めていたMacintoshプロジェクトを乗っ取ったことはよく知られている話しである。

したがってApple IIや IIIはともかくスティーブ・ジョブズが自分の思い通りのコンピュータを作る機会としてはまずLisaという存在があったのだ。

そのジョブズが世界を変えようと息巻いて開発がスタートしたLisaだが基本的に「Type Style」メニューから選択できるフォントは「Modern」と「Classic」の2書体でしかない。

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※ Lisaの搭載フォントは基本的に「Modern」と「Classic」の2書体だった


理由は不明だがこのLisa開発の際に何故Macintoshのときと同様、複数のフォントを搭載する機会がなかったのだろうか…。なぜそれはMacの時に開花することになったのだろうか…。
斎藤由多加著「マッキントッシュ伝説」でアラン・ケイが言っているとおり、Macintoshのユーザーインターフェースと思われていることの基本はLisaで実現されていた。それはゼロックス社のパロアルト研究所の研究成果…ウィンドウインターフェースよりも大きく進歩したものでApple最大の功績のひとつに間違いなかった。

ケイは続けていう。そうした発想はスティーブ・ジョブズが視覚に極度にこだわったところから出てきたものだと…。ジョブズはスクリーンでどのように見えるかを常に気にしたからだ。
したがってもしジョブズがLisaの開発プロジェクトのリーダーであり続けたら、マルチフォントの栄誉はMacでなくLisaが最初になったのかも知れない。

では、そもそも最初のMacintoshに搭載されたフォントはどのようなものだったのだろうか…。
当時のシステムは現在のようにハードディスクにインストールしたシステムに頼るものではなく、アプリケーションと一緒にたった400KBの3.5インチ・フロッピーディスクに収められていた。したがって今回再確認するに際し、後にフォントを入れ替えたりした形跡も記憶もないオリジナルなMacPaintのディスクを使って起動してみることにした…。

それはディスクラベルにMacPaintの作者、ビル・アトキンソン直筆のサインをもらったという私にとっては貴重なものだが、これなら間違いはないと久しぶりに起動ディスクとして使ってみた。なにしろ1984年に手に入れたMacintosh 128Kに同梱されていたアプリケーションはMacPaintとMacWriteの2つしかなかったのである。

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※2004年に来日したビル・アトキンソンにサインをしてもらったMacPaintオリジナルディスクとマニュアル


ともかくマシンはそのMacintosh 128Kを使用したが、起動したMacPaintの「Font」メニューには Chicago, Geneva, New York, Monaco, Venice, London そして Athensの7種類が用意されていた。ちなみにメニューに使われているフォントは Chicagoだ。

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※最初のMacintoshには7種類のプロポーショナルフォントが搭載されていた。下は同じテキストによるフォントデザイン比較

アンディ・ハーツフェルド著「レボリューション・イン・ザ・バレー」によればこれらMacintoshのスクリーンフォントはVeniceという手書き風書体以外、皆スーザン・ケアがデザインしたとのこと。
スーザン・ケア女史といえばあのハッピーマックや爆弾マークなどMacをマックたらしめる数多くのアイコンをデザインした人である。そのスーザン・ケアは当初ローカルな通勤電車の駅名にちなみ Overbrook, Merion, Ardmore, Rosemontといった名前を考えていたという。

ある日のことスティーブ・ジョブズがメニューにあるフォント名を見て眉をひそめた。「何だこの名前は?」と…。スーザンが駅名だと説明するとジョブズは「都市の名前はいいだろう…」と言いながらも「でも誰もが聞いたことのないようなケチな名前じゃだめだ、世界的な都市名にするべきだ」といったことから前記のような一連のフォント名が決まったという。
ちなみにVeniceのフォントはビル・アトキンソン作として知られている。

スティーブ・ジョブズがcalligraphyを勉強したことがMacintoshに豊富なフォント、それもプロポーショナルフォントを採用することになった。しかしあらためてMacintoshというパーソナルコンピュータと向かい合うと今さらながらその斬新さ、凄さが身にしみて分かってくる。

AppleはMacintoshの販売時に「これはLisaテクノロジーを踏襲したもの」といった物言いを盛んにやった。そして巷ではMacintoshはLisaをコンパクトにしたものに過ぎないといった言われようもあった。しかし実際にMacintoshをきちんと評価すると単にLisaの安価版であったわけではないことは明白だ。

このマルチフォント採用はもとよりだが、マルチリンガル、リソース、QuickDrawといった仕様はもとより、Macintoshは最初から喋ることができたしグラフィックスの基本フォーマットとなったPICTなどを総括して考えると後にマルチメディアなどに代表されるコンセプトがほとんど包括されていたことがわかる。

そう、事実多彩なフォントとグラフィックスを容易に扱えるというMacintoshのコンセプトからあのデスクトップ・パブリッシング(DTP)が発生したことを思うとき、最初のMacintoshに多様なフォントが搭載された意義はいま考えるより遙かに大きかったのである。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員