マネキンの顔についての考察
皆さんは「マネキンの顔」というとどのような容姿を思い浮かべるだろうか…。一昔前も現在もリアルマネキンの多くの顔は日本人とはほど遠い欧米人をイメージした顔立ちがほとんどだ。確かに近年アジアンテイストのマネキンも見かけるようになったが、見る者自身を仮託させるマネキンは現実離れしていた方がよいのか、やはり欧米人的な容姿が圧倒的に多い。
その昔、妹が読んでいた女性誌を借りてページをめくっていた時期があった。アンアンとかノンノといった雑誌だったが、それらに載っているモデルさんたちが皆外国人で一時読者か識者やらのクレームがあったと聞いた。それはいくら日本の若い女性の体型が欧米化している昨今だとしても欧米人モデルばかりでは可笑しいではないか…という指摘だったという。日本人のモデルをなぜ使わないのか...と。
すでに記憶があやふやだが、一時期そうした要望を受けて日本人モデルを主に雑誌作りをやった結果、読者の評判はイマイチだったと聞いた。

※当研究所の専属モデル一例
現在でもファッション雑誌や広告に欧米人モデルをなぜ採用するのか…という疑問を持つ人がいるかも知れないが、いまの若い方達は当然のことと受け止められているのではないか。
まず、イメージ的に欧米人の方がブランド力が高まることがあげられる。また日本人、それも有名な芸能人の場合はターゲットを限定してしまう可能性があり、その点欧米人モデルの場合は消費者のイメージを広げる傾向がある。そして一般的に欧米人モデルの方が見栄えが良いという評価があるというしモデルにもよるものの、欧米人モデルの方が表現力に優れているから...という話しを以前広告代理店の方から聞いたことがある。
そのような理屈はリアルマネキンにもいえる...。申し上げるまでもなくマネキンのスタイルは勿論だが、その容姿の多くはファッション雑誌同様に日本人離れしている。ブロンドや栗毛色の髪だけでなく顔の造形も彫りが深く目の色も青かったりするものが多い。
私の個人的な好みといえば、いかに否定しようとしても幼少の頃からアメリカのテレビ番組でカッコイイお父さんと美人なお母さん、そして美しい女優たちに憧れて育った年代だし、どこか外人コンプレックスといったものが意識の底に残っているのかも知れない。
何しろ子供の頃、そうした限られた情報から「アメリカはあのような綺麗な女性たちばかりなのに違いない」という先入観を持っていたほどだ(笑)。
したがって一般的に現在のリアルマネキンの容姿は好みなのだ(笑)。とはいえマネキンの顔とはいっても千差万別であり、整った顔だとしても人の顔と同様で好きになれない顔もある。
ただしマネキンの奥深さを知ろうと幾多の情報を調べ、書籍類に目を通した結果、私の知っているマネキンは極々一部のものだということが分かった。
またマネキンにもランクがあることも知った。私などが容易に手に入れられるマネキンとはクオリティが違うものが存在するということだ...。

※JAMDA (日本マネキンディスプレイ商工組合)刊行「マネキンのすべて 続編」
例えばJAMDA (日本マネキンディスプレイ商工組合)刊行「マネキンのすべて 続編」には現代の原型作家の巨匠といわれている人たちとその作品例が紹介されている。それは翁 観二、石田 準、加野正浩、地主 力、川口 健、岡田茂樹の6氏だ。そしてそれぞれ1ページずつという制約の多い紹介だからこれだけですべてを判断できるはずもないが、例えば地主 力氏による女性のリアルマネキンなど、眼前にすると震えがくるのではないかと思うほどリアルで魅力的な表情をしている。
そうしたいわゆるマネキンのブランド品と比べれば私が昨年来入手した一連のネキンは量産品としても安価な類に入るものばかりだ。しかし当然その顔・容姿や造作はそもそものコンセプトに合致するものであり、好みに拘って選んだ。
人間世界はいろいろと難しいあれこれがあって、特にビジネスでは相手を選べるはずもないが、せめてマネキンの選択くらいは100% 自分の好みで決めてみたい(笑)。とはいえ前記したように予算が豊富にあるわけではないからなかなか理想どおりにはいかないが…。


※最初に手に入れたヘッドマネキンの顔は一番気に入っている(上)。ブラウス程度はきちんと着せたいと現在バストアップ・ボディを制作中(下)
一番最初に手に入れたヘッドマネキンの顔は大変気に入っている。適切なウィッグを着ければ見惚れるような表情を見せる。首から下のボディはないので顔のアップの映像を撮る際しか出番がなかったが、今般意を決して両肩から胸までをオリジナル造形し(大げさだが)プラウス程度を着せられるようにとバストアップのボディを制作中である。さらにこのヘッドマネキンは化粧も濃くないし肌もとても綺麗だ(当たり前だが)。ウィッグはショート系のものを使うことが多いのでピアスも付けてある...。

※ヘッドマネキンにショート系のWigを付けた例。手は別のマネキンのものを借用して撮影
不思議なのはリアルに人間の容姿を象った「○○ロイド」といったアンドロイドやラブドールといった類の写真を見るとあの「不気味の谷現象」を思い出す。両者ともにどこか違和感があり、親しみ以前に一瞬怖さを感じるときがあるが、ヘッドマネキン嬢や当研究所に置かれているマネキンの顔は例え真夜中に見たとしてもそうした感情は起きないのはどうしたことなのか...。
実在の人間の顔を型取りしたアンドロイドは形はそっくりなはずだが動くだけにやはり微妙な表情が人間とは違うから、一瞬を切り取ったビジュアルを見ると時にどこか人間が味わう苦悩の瞬間とか死体を見たような印象を受けるのかも知れない。しかしマネキンの顔は動かないこともあるがそうした違和感は感じさせない。
なぜなら一部のマネキンを覗いて原型作家たちは実在のモデルを見ながらの製作はしないという人が多いようだ。高度な技術力と熟練のなしうる技ということなのか、イメージは作家の頭の中にあるのだろう。そして出来上がった造形は笑みであれ憂いであり、それは意図的に見る人が嫌悪感を感じさせない顔を作っているからではないだろうか。
申し上げるまでもなく、ディスプレイされたマネキンの顔から嫌なイメージを受けるのではそもそも役に立たない。したがってこれからのアンドロイドの顔作りはマネキンの原型作家の方に依頼すべきではないかとさえ思う。
リアルなマネキンの造形は現実の人間をモデルとする場合もあるだろうが前記したように多くの原型作家達は自身のイマジネーションをフル動員して製作するという。ファッション性を重要視するマネキンは当然のことそれは造形的に美しいことが求められる。しかし現実にマネキンになれる...マネキンを越えた美しく魅力的な顔を持つモデル(人間)はそうそういるはずもない。

※ヘッドマネキン、テスト撮影の1枚
現在マネキンは人体をリアルに再生する生体型取り法という技術があり、モデルが目を開けたまま皺の一本まで忠実に型取りする方法が確立されているし3Dプリンターによる造形も研究されているに違いない。しかしそれで良いマネキンが生まれるという単純なものではないらしい。型取りによる造作はかえって “マネキン力” を弱めてしまうことにもなりかねないらしい。
優れた原型作家の手により生まれたリアルマネキンが息をのむ美しさを発揮するのは人を越えた美しさ、人間が理想を求めて作り出した “存在し得ない究極美” だからに違いないのだ。
それにしても "人型" というものは... "顔" というものは面白いというか不思議だ...。このヘッドマネキンを仕事に置いておくとフッと視線を感じるときがあるし、表情が動くはずもないのにちょっとした角度や照明の違い、あるいはこちらの気持ちのあり方なのか彼女の表情が変わって見えるときがある。
さらに風景は勿論、室内でパソコンやらを撮影しているときにはほとんど気にならないが、マネキンとはいえ顔の撮影は非常に難しい事を日々感じている。三脚にセットしたカメラをマネキンに向け、この角度からの表情は良いと思って撮ってはみても写真を見ると微妙に表情が違う。レンズの設定を変え、距離を変え、角度を変えて照明を変えても「写真で見たとおりを写す」ことがいかに困難かを身をもって知らされている毎日だ。
ポートレートを撮影するプロフェッショナルの苦労が分かるような気がした一瞬でもある。
いまだ友人知人たちの中にはマネキンに対して誤解と偏見を持っている人たちもいるが、彼らに何といわれようと日々その美の一旦を眼前にできる幸せを感じている。
【主な参考資料】
・欠田誠著「マネキン 美しい人体の物語」晶文社刊
・INAX「マネキン 笑わないイヴたち」INAXギャラリー刊
・「マネキンのすべて2」日本マネキンディスプレイ商工組合刊
その昔、妹が読んでいた女性誌を借りてページをめくっていた時期があった。アンアンとかノンノといった雑誌だったが、それらに載っているモデルさんたちが皆外国人で一時読者か識者やらのクレームがあったと聞いた。それはいくら日本の若い女性の体型が欧米化している昨今だとしても欧米人モデルばかりでは可笑しいではないか…という指摘だったという。日本人のモデルをなぜ使わないのか...と。
すでに記憶があやふやだが、一時期そうした要望を受けて日本人モデルを主に雑誌作りをやった結果、読者の評判はイマイチだったと聞いた。

※当研究所の専属モデル一例
現在でもファッション雑誌や広告に欧米人モデルをなぜ採用するのか…という疑問を持つ人がいるかも知れないが、いまの若い方達は当然のことと受け止められているのではないか。
まず、イメージ的に欧米人の方がブランド力が高まることがあげられる。また日本人、それも有名な芸能人の場合はターゲットを限定してしまう可能性があり、その点欧米人モデルの場合は消費者のイメージを広げる傾向がある。そして一般的に欧米人モデルの方が見栄えが良いという評価があるというしモデルにもよるものの、欧米人モデルの方が表現力に優れているから...という話しを以前広告代理店の方から聞いたことがある。
そのような理屈はリアルマネキンにもいえる...。申し上げるまでもなくマネキンのスタイルは勿論だが、その容姿の多くはファッション雑誌同様に日本人離れしている。ブロンドや栗毛色の髪だけでなく顔の造形も彫りが深く目の色も青かったりするものが多い。
私の個人的な好みといえば、いかに否定しようとしても幼少の頃からアメリカのテレビ番組でカッコイイお父さんと美人なお母さん、そして美しい女優たちに憧れて育った年代だし、どこか外人コンプレックスといったものが意識の底に残っているのかも知れない。
何しろ子供の頃、そうした限られた情報から「アメリカはあのような綺麗な女性たちばかりなのに違いない」という先入観を持っていたほどだ(笑)。
したがって一般的に現在のリアルマネキンの容姿は好みなのだ(笑)。とはいえマネキンの顔とはいっても千差万別であり、整った顔だとしても人の顔と同様で好きになれない顔もある。
ただしマネキンの奥深さを知ろうと幾多の情報を調べ、書籍類に目を通した結果、私の知っているマネキンは極々一部のものだということが分かった。
またマネキンにもランクがあることも知った。私などが容易に手に入れられるマネキンとはクオリティが違うものが存在するということだ...。

※JAMDA (日本マネキンディスプレイ商工組合)刊行「マネキンのすべて 続編」
例えばJAMDA (日本マネキンディスプレイ商工組合)刊行「マネキンのすべて 続編」には現代の原型作家の巨匠といわれている人たちとその作品例が紹介されている。それは翁 観二、石田 準、加野正浩、地主 力、川口 健、岡田茂樹の6氏だ。そしてそれぞれ1ページずつという制約の多い紹介だからこれだけですべてを判断できるはずもないが、例えば地主 力氏による女性のリアルマネキンなど、眼前にすると震えがくるのではないかと思うほどリアルで魅力的な表情をしている。
そうしたいわゆるマネキンのブランド品と比べれば私が昨年来入手した一連のネキンは量産品としても安価な類に入るものばかりだ。しかし当然その顔・容姿や造作はそもそものコンセプトに合致するものであり、好みに拘って選んだ。
人間世界はいろいろと難しいあれこれがあって、特にビジネスでは相手を選べるはずもないが、せめてマネキンの選択くらいは100% 自分の好みで決めてみたい(笑)。とはいえ前記したように予算が豊富にあるわけではないからなかなか理想どおりにはいかないが…。


※最初に手に入れたヘッドマネキンの顔は一番気に入っている(上)。ブラウス程度はきちんと着せたいと現在バストアップ・ボディを制作中(下)
一番最初に手に入れたヘッドマネキンの顔は大変気に入っている。適切なウィッグを着ければ見惚れるような表情を見せる。首から下のボディはないので顔のアップの映像を撮る際しか出番がなかったが、今般意を決して両肩から胸までをオリジナル造形し(大げさだが)プラウス程度を着せられるようにとバストアップのボディを制作中である。さらにこのヘッドマネキンは化粧も濃くないし肌もとても綺麗だ(当たり前だが)。ウィッグはショート系のものを使うことが多いのでピアスも付けてある...。

※ヘッドマネキンにショート系のWigを付けた例。手は別のマネキンのものを借用して撮影
不思議なのはリアルに人間の容姿を象った「○○ロイド」といったアンドロイドやラブドールといった類の写真を見るとあの「不気味の谷現象」を思い出す。両者ともにどこか違和感があり、親しみ以前に一瞬怖さを感じるときがあるが、ヘッドマネキン嬢や当研究所に置かれているマネキンの顔は例え真夜中に見たとしてもそうした感情は起きないのはどうしたことなのか...。
実在の人間の顔を型取りしたアンドロイドは形はそっくりなはずだが動くだけにやはり微妙な表情が人間とは違うから、一瞬を切り取ったビジュアルを見ると時にどこか人間が味わう苦悩の瞬間とか死体を見たような印象を受けるのかも知れない。しかしマネキンの顔は動かないこともあるがそうした違和感は感じさせない。
なぜなら一部のマネキンを覗いて原型作家たちは実在のモデルを見ながらの製作はしないという人が多いようだ。高度な技術力と熟練のなしうる技ということなのか、イメージは作家の頭の中にあるのだろう。そして出来上がった造形は笑みであれ憂いであり、それは意図的に見る人が嫌悪感を感じさせない顔を作っているからではないだろうか。
申し上げるまでもなく、ディスプレイされたマネキンの顔から嫌なイメージを受けるのではそもそも役に立たない。したがってこれからのアンドロイドの顔作りはマネキンの原型作家の方に依頼すべきではないかとさえ思う。
リアルなマネキンの造形は現実の人間をモデルとする場合もあるだろうが前記したように多くの原型作家達は自身のイマジネーションをフル動員して製作するという。ファッション性を重要視するマネキンは当然のことそれは造形的に美しいことが求められる。しかし現実にマネキンになれる...マネキンを越えた美しく魅力的な顔を持つモデル(人間)はそうそういるはずもない。

※ヘッドマネキン、テスト撮影の1枚
現在マネキンは人体をリアルに再生する生体型取り法という技術があり、モデルが目を開けたまま皺の一本まで忠実に型取りする方法が確立されているし3Dプリンターによる造形も研究されているに違いない。しかしそれで良いマネキンが生まれるという単純なものではないらしい。型取りによる造作はかえって “マネキン力” を弱めてしまうことにもなりかねないらしい。
優れた原型作家の手により生まれたリアルマネキンが息をのむ美しさを発揮するのは人を越えた美しさ、人間が理想を求めて作り出した “存在し得ない究極美” だからに違いないのだ。
それにしても "人型" というものは... "顔" というものは面白いというか不思議だ...。このヘッドマネキンを仕事に置いておくとフッと視線を感じるときがあるし、表情が動くはずもないのにちょっとした角度や照明の違い、あるいはこちらの気持ちのあり方なのか彼女の表情が変わって見えるときがある。
さらに風景は勿論、室内でパソコンやらを撮影しているときにはほとんど気にならないが、マネキンとはいえ顔の撮影は非常に難しい事を日々感じている。三脚にセットしたカメラをマネキンに向け、この角度からの表情は良いと思って撮ってはみても写真を見ると微妙に表情が違う。レンズの設定を変え、距離を変え、角度を変えて照明を変えても「写真で見たとおりを写す」ことがいかに困難かを身をもって知らされている毎日だ。
ポートレートを撮影するプロフェッショナルの苦労が分かるような気がした一瞬でもある。
いまだ友人知人たちの中にはマネキンに対して誤解と偏見を持っている人たちもいるが、彼らに何といわれようと日々その美の一旦を眼前にできる幸せを感じている。
【主な参考資料】
・欠田誠著「マネキン 美しい人体の物語」晶文社刊
・INAX「マネキン 笑わないイヴたち」INAXギャラリー刊
・「マネキンのすべて2」日本マネキンディスプレイ商工組合刊
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