当研究所に五劫思惟阿弥陀如来坐像が鎮座
我が研究所にはいくつかお気に入りの仏像があるが、この度新たに小さな仏像が鎮座することになった。それが五劫思惟阿弥陀如来坐像であり高さが115mmというほんとに小さな仏像だ。しかしその姿は一度見たら決して忘れられないに違いない。本作のモデルは東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊「五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀如来坐像」(国重要文化財)である。
予備知識なしでこの阿弥陀様を見たら、「なに?アフロの仏像ってあったの?!」と吹き出すかも知れない。無論これはアフロヘアーではない(笑)。
簡単に説明すれば、五刧思惟阿弥陀(ごこうしゆいあみだ)は阿弥陀如来の異形のひとつで、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと四十八願をたて、修行をし阿弥陀仏となった時の姿をあらわしたものだという。したがって永い間、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、髪(螺髪)が伸びこうした髪形になったというわけだ。

※五劫思惟阿弥陀如来坐像【クリックで拡大】
ではどれほど長い時間なのかはその名「五劫」に表されている。
“劫(こう)” とは長延な時間の単位であり、一劫とは三年(百年とも)に一度地上に舞い降りる天女の羽衣が大きな岩に触れ、その摩擦で岩が減ってなくなるほどの時間を意味するという。そもそもはサンスクリット語であり、その場合の1劫は43億2000万年という説もあるらしい。
別の説では一辺が約7kmの立方体(城)を芥子粒でいっぱいにし、百年に1度、その芥子粒を1つずつ取り去って、すべてなくなってもまだ終わっていないほどの時間を意味するという...。
ということはもし1劫が43億2000万年とするなら、5劫なら計算上、43億2000万年×5 = 216億年ということになるが、これは現宇宙のはじまりといわれるビッグバン(138億年前)より遙かに昔ということになる(笑)。
さらに五劫とは21億6千万年といった説もあるものの、要は極めて長い宇宙論的な時間の単位であり無限を意味すると考えてよいのだろう...。
そういえば、落語の「寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ...」はここからきている。
要はどのように衆生を救ったら良いかを恒久の時間考え続けていたためにこのような髪型になった阿弥陀如来の有り難さ、慈悲深さ、そして偉大さを具体的な形にした仏像なのだ。
なお、東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊は秘仏であり毎年10月5日に一般公開されるらしい。本像は高さ106cmほどのヒノキの一木作りで鎌倉時代の作だというが、五劫思惟阿弥陀仏の類は全国でも16体ほどしかみられない珍しい姿という。

※顔部分の拡大
さて、今般手に入れた五劫思惟阿弥陀像は前記した東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊をモデルにした造作だが、特に可愛らしさを感じさせるようにと全体的な丸みを強調し、顔に残る金箔の剥落具合にも拘った造形だ。したがって比較すれば顔の造作や衣のひだなどが東大寺のとは少し違う。ちなみに材質はポリストーンだ。
その我が研究所に鎮座する五劫思惟阿弥陀像を眼前にしてふっとその顔を見れば幼児のようなふっくらとした表情とちょっと…いや、その異形な髪型に思わず「ほっこり」としてしまう。その顔は仏像というより赤ん坊の顔に思えてくる。
そして五劫という気の遠くなるというかまったく感覚的にも分からないほどの長い間、我々のことを思いやって思惟し続けてくれる阿弥陀如来に思わずチューでもしたくなる(笑)。

※サイズは115mmと小さい。サイズ比較のiPhone 6s Plusを光背として置いてみた(笑)
我が研究所には大阪四天王寺の秘仏である菩薩半跏思惟像(国宝)のレプリカなど数体の仏像が混在している。そして当研究所の菩薩半跏思惟像も五劫思惟阿弥陀様も秘仏ではないので毎日、日々顔合わせが出来る(笑)。そしてこれらの仏像を見つめていると気持ちが穏やかになり「そうそうあくせくしなさんな、いらいらしないでゆったりとかまえようね」と諭されるような気がする。それこそが御利益なのかも知れない。
なお、ご紹介した五劫思惟阿弥陀如来坐像は「イSム・オンラインショップ」で100体限定の先行販売で入手したものだが、一般販売は10月26日からだという。
■イSム 五刧思惟阿弥陀
予備知識なしでこの阿弥陀様を見たら、「なに?アフロの仏像ってあったの?!」と吹き出すかも知れない。無論これはアフロヘアーではない(笑)。
簡単に説明すれば、五刧思惟阿弥陀(ごこうしゆいあみだ)は阿弥陀如来の異形のひとつで、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと四十八願をたて、修行をし阿弥陀仏となった時の姿をあらわしたものだという。したがって永い間、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、髪(螺髪)が伸びこうした髪形になったというわけだ。

※五劫思惟阿弥陀如来坐像【クリックで拡大】
ではどれほど長い時間なのかはその名「五劫」に表されている。
“劫(こう)” とは長延な時間の単位であり、一劫とは三年(百年とも)に一度地上に舞い降りる天女の羽衣が大きな岩に触れ、その摩擦で岩が減ってなくなるほどの時間を意味するという。そもそもはサンスクリット語であり、その場合の1劫は43億2000万年という説もあるらしい。
別の説では一辺が約7kmの立方体(城)を芥子粒でいっぱいにし、百年に1度、その芥子粒を1つずつ取り去って、すべてなくなってもまだ終わっていないほどの時間を意味するという...。
ということはもし1劫が43億2000万年とするなら、5劫なら計算上、43億2000万年×5 = 216億年ということになるが、これは現宇宙のはじまりといわれるビッグバン(138億年前)より遙かに昔ということになる(笑)。
さらに五劫とは21億6千万年といった説もあるものの、要は極めて長い宇宙論的な時間の単位であり無限を意味すると考えてよいのだろう...。
そういえば、落語の「寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ...」はここからきている。
要はどのように衆生を救ったら良いかを恒久の時間考え続けていたためにこのような髪型になった阿弥陀如来の有り難さ、慈悲深さ、そして偉大さを具体的な形にした仏像なのだ。
なお、東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊は秘仏であり毎年10月5日に一般公開されるらしい。本像は高さ106cmほどのヒノキの一木作りで鎌倉時代の作だというが、五劫思惟阿弥陀仏の類は全国でも16体ほどしかみられない珍しい姿という。

※顔部分の拡大
さて、今般手に入れた五劫思惟阿弥陀像は前記した東大寺勧進所阿弥陀堂の本尊をモデルにした造作だが、特に可愛らしさを感じさせるようにと全体的な丸みを強調し、顔に残る金箔の剥落具合にも拘った造形だ。したがって比較すれば顔の造作や衣のひだなどが東大寺のとは少し違う。ちなみに材質はポリストーンだ。
その我が研究所に鎮座する五劫思惟阿弥陀像を眼前にしてふっとその顔を見れば幼児のようなふっくらとした表情とちょっと…いや、その異形な髪型に思わず「ほっこり」としてしまう。その顔は仏像というより赤ん坊の顔に思えてくる。
そして五劫という気の遠くなるというかまったく感覚的にも分からないほどの長い間、我々のことを思いやって思惟し続けてくれる阿弥陀如来に思わずチューでもしたくなる(笑)。

※サイズは115mmと小さい。サイズ比較のiPhone 6s Plusを光背として置いてみた(笑)
我が研究所には大阪四天王寺の秘仏である菩薩半跏思惟像(国宝)のレプリカなど数体の仏像が混在している。そして当研究所の菩薩半跏思惟像も五劫思惟阿弥陀様も秘仏ではないので毎日、日々顔合わせが出来る(笑)。そしてこれらの仏像を見つめていると気持ちが穏やかになり「そうそうあくせくしなさんな、いらいらしないでゆったりとかまえようね」と諭されるような気がする。それこそが御利益なのかも知れない。
なお、ご紹介した五劫思惟阿弥陀如来坐像は「イSム・オンラインショップ」で100体限定の先行販売で入手したものだが、一般販売は10月26日からだという。
■イSム 五刧思惟阿弥陀
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