「良い上司に恵まれなかった...」衝撃の物語〜その1
先日知人たち数人と雑談の中で理想の上司像が話題になった。私のサラリーマン時代には考えられないことだが、最近は部下による上司の逆査定を採用している企業が増えているそうだ。実は私にとって「上司」という言葉はかなり苦い体験を含んだものなのである。 今回は久しぶりにサラリーマン時代の衝撃の体験と愚痴を聞いていただこう。
先日数人の方たちと談笑する機会があったが、その折に話題は「理想の上司像」といった話しになった。
そんな話をあれこれとしたからだろう、その夜すでに30年近くも昔の上司が夢に出てきた..。
実は私がサラリーマン時代を過ごした時代に巡り会った、たった2人の直属の上司は結果として...悪い意味で大変な人物であった。
私は自身で起業する前に東証一部上場企業と小さな貿易商社を併せて約20年の間サラリーマン生活を送った。そしていま考えれば「サラリーマンは~気楽な稼業と~きたもんだ!」という植木等の歌ではないが、当時は今とは違い気楽な世情でもあった。
そのサラリーマン時代を通して様々なことを学び多くの体験をしてきたが、振り返ってみると大変残念なことに「上司に恵まれなかった」ことが心に残る...。
最初に就職した大手メーカーでは直属の上司...当時の係長(後に課長)には大変可愛がってもらったしよく面倒をみてもらった。
世の中が勢いのある時代だったから仕事もよくやったものの、一週間のうちの大半は仕事が終わるとキャバレーやクラブに入り浸りであった(笑)。
無論私らの給料で通える場所ではなくすべてこの係長のおごりであった。否応なく付き合わされたわけで仕事上の付き合いという奴である。
最初の頃、彼は帰宅が深夜になることに気を使い当時まだ親元にいた私の実家に電話を入れ、電話口に出た母に「息子さんをお預かりします」と断って華やかな女性たちが沢山いる...そして名だたるビッグバンドや有名歌手などが出入りするグランドキャバレーなどへ連れて行ってくれた。
すでに亡くなった母も母である。なにしろ「宜しくお願いします」といったそうだ(爆)。
しかし酒が飲めない私...そして当然のことながら上司同席の場所で自由に振る舞えないこともあり、だんだん嫌気がさしてくるものの断るわけにもいかず誘われるままに数年が過ぎた。
思えば贅沢な話である。しかし飲んだ明くる日は是が非でも休んだり遅刻は厳禁。逆に遊んだ日の翌日はいつもより早めに出社しろと教育を受けた。だから早く出社する癖がついた(笑)。
彼はキャバレーの女たちに札びらを切るだけでなく、私らにも帰りに高級な折り詰めの寿司を持たせた上でタクシーに乗せ、料金も払ってくれるという上司だった。
最初は普段喰い慣れない高級な寿司を持って帰るのだから家族は喜んだ。しかしその家族もワンパターンが続くと明け方には固くなってしまう寿司に見向きもしなくなる(笑)。
それではもったいないからと...乗車したときタクシーの運転手さんに食べてもらうこともあったし、罰当たりなことにそのまま駅のゴミ箱に捨てたこともあった...嗚呼。
一介の係長がなぜこんなにも金回りがよいのかを不思議に思ったこともあったが、父親の遺産が入ったこと、そして自宅の隣にアパートを持っており、その家賃収入も大変な額というふれこみだった。まあそれはそれで事実だったようだが...。
ともかく私が会社を辞めるまではこの調子で大変よい上司だったのである。しかしその大企業を辞めるきっかけを作ったのもその上司であった...。
ある日「自分で会社を設立するので手伝ってくれないか」という話があった。
まだまだ若造で世間も知らず意欲だけ一人前の私は二つ返事でその話に乗り会社に辞表を出した。ありがたいことに部長から強く慰留されたものの私の気持ちはすでに決まっていた。若気の至りというやつである。
私は高校時代の友人をも誘い、上司の求めに応じて会社の設立に奔走した。
大手町の合同庁舎にもよく通った。経費を切り詰める意味も含めなるべく専門家の手を借りず、いちから株式会社設立の手続きを自分でやった。
上司は確かに資本金を出してくれ、自身で代表取締役に収まったが現在の仕事の整理に半年くらいかかるから、自分が実際に退職して一緒に仕事をするのはしばらく後になるという話だった。私にとってそうしたことは不都合なことではなかった。そして浅草雷門近くに小さな事務所を借りた...。
しかし毎月の給料は出たものの半年経っても一年経っても彼が現在の会社を辞して私たちの元に来ることはなかったのである。
さすがに我々もこれはおかしいと思い始め、様々な話し合いをした上で結局彼と決別しその会社を辞めた。そしていろいろと就職活動をした上で事務の女性が辞めたばかりで社長ひとりしかいないという小さな貿易会社に就職したのである。
1977年初頭のことだった。
数年後、私は古巣の会社から...それも在職当時は話もできない雲の上の存在である常務取締役から思いもかけない電話があり、久しぶりに大会社のエントランスをくぐった。
これまで入ったこともない役員室に通され緊張したが、役員等の対応は丁寧で親切だった。しかしその場の話は驚くべき内容だった
手短にいえば昔の上司(当時は課長になっていた)は10年以上もの間、取引先を巻き込んで不正な金を受け取っていたとかで、その総額は膨大な額になっていたという。いわゆる業務上横領である。そしてそれが発覚した直後に自殺を企て失敗したそうだ...(私が呼ばれたときには入院中だったがその数年後に亡くなった)。
私が呼ばれたのは在職中彼の恩恵を受けていた一人として、しかし今では外部の人間として忌憚のない話を聞けるだろうという思惑からだったらしい。
特に社外での行動や金の使い方などに質問が集中したことを記憶している...。
無論その部署の全員には大変厳しい内部調査が入ったと聞く...。そして取引先の何人かの首が飛び、小さな会社数社が倒産したというまことしやかな話まで聞こえてきた。すでに30年近くにもなる昔の話だが会社による必死の口止めが功をそうしたからか、新聞沙汰にはならなかった。
確かに彼は尋常ではない金の使い方をしていた。そして後から思えばあれこれと思い当たるような事もあったが、当時はまったく疑うということを知らなかった...。
第一会社ならびに部署自体がそうした不正を長い間見抜けなかったのだから何をか況やであろう。
公私ともにこの上司には大変世話になったことは確かだが、私自身大企業を辞めるというその後の人生を大きく左右するきっかけを作った当事者でもあったわけで、私のショックはこれまた大変大きなものだったことはご想像いただけるものと思う。
バブルな時代だったからだろうか、私はこの上司の他にも二部上場企業の取引先担当が同じく業務上横領で免職されたケースにも出くわしたことがあり、その後は人を見る目が変わったと共に人物を見る眼を養うきっかけともなった。
良いところのお坊ちゃんという触れ込みだったその人物は取引関係者の1人として私を芸能人まで出演した盛大な結婚式に呼んでくれたが、その数ヶ月後に事が発覚して免職になったという。
確かに勢いがある人物だったもののその言動は一貫しておらず胡散臭さを感じる人物であった。
したがってその後自身が起業したとき、自分で言うのも変だがいわゆる"危ない" 会社や “あやしい”人物をセンサーのように判断する術には長けていたように思う(笑)。
つづく
先日数人の方たちと談笑する機会があったが、その折に話題は「理想の上司像」といった話しになった。
そんな話をあれこれとしたからだろう、その夜すでに30年近くも昔の上司が夢に出てきた..。
実は私がサラリーマン時代を過ごした時代に巡り会った、たった2人の直属の上司は結果として...悪い意味で大変な人物であった。
私は自身で起業する前に東証一部上場企業と小さな貿易商社を併せて約20年の間サラリーマン生活を送った。そしていま考えれば「サラリーマンは~気楽な稼業と~きたもんだ!」という植木等の歌ではないが、当時は今とは違い気楽な世情でもあった。
そのサラリーマン時代を通して様々なことを学び多くの体験をしてきたが、振り返ってみると大変残念なことに「上司に恵まれなかった」ことが心に残る...。
最初に就職した大手メーカーでは直属の上司...当時の係長(後に課長)には大変可愛がってもらったしよく面倒をみてもらった。
世の中が勢いのある時代だったから仕事もよくやったものの、一週間のうちの大半は仕事が終わるとキャバレーやクラブに入り浸りであった(笑)。
無論私らの給料で通える場所ではなくすべてこの係長のおごりであった。否応なく付き合わされたわけで仕事上の付き合いという奴である。
最初の頃、彼は帰宅が深夜になることに気を使い当時まだ親元にいた私の実家に電話を入れ、電話口に出た母に「息子さんをお預かりします」と断って華やかな女性たちが沢山いる...そして名だたるビッグバンドや有名歌手などが出入りするグランドキャバレーなどへ連れて行ってくれた。
すでに亡くなった母も母である。なにしろ「宜しくお願いします」といったそうだ(爆)。
しかし酒が飲めない私...そして当然のことながら上司同席の場所で自由に振る舞えないこともあり、だんだん嫌気がさしてくるものの断るわけにもいかず誘われるままに数年が過ぎた。
思えば贅沢な話である。しかし飲んだ明くる日は是が非でも休んだり遅刻は厳禁。逆に遊んだ日の翌日はいつもより早めに出社しろと教育を受けた。だから早く出社する癖がついた(笑)。
彼はキャバレーの女たちに札びらを切るだけでなく、私らにも帰りに高級な折り詰めの寿司を持たせた上でタクシーに乗せ、料金も払ってくれるという上司だった。
最初は普段喰い慣れない高級な寿司を持って帰るのだから家族は喜んだ。しかしその家族もワンパターンが続くと明け方には固くなってしまう寿司に見向きもしなくなる(笑)。
それではもったいないからと...乗車したときタクシーの運転手さんに食べてもらうこともあったし、罰当たりなことにそのまま駅のゴミ箱に捨てたこともあった...嗚呼。
一介の係長がなぜこんなにも金回りがよいのかを不思議に思ったこともあったが、父親の遺産が入ったこと、そして自宅の隣にアパートを持っており、その家賃収入も大変な額というふれこみだった。まあそれはそれで事実だったようだが...。
ともかく私が会社を辞めるまではこの調子で大変よい上司だったのである。しかしその大企業を辞めるきっかけを作ったのもその上司であった...。
ある日「自分で会社を設立するので手伝ってくれないか」という話があった。
まだまだ若造で世間も知らず意欲だけ一人前の私は二つ返事でその話に乗り会社に辞表を出した。ありがたいことに部長から強く慰留されたものの私の気持ちはすでに決まっていた。若気の至りというやつである。
私は高校時代の友人をも誘い、上司の求めに応じて会社の設立に奔走した。
大手町の合同庁舎にもよく通った。経費を切り詰める意味も含めなるべく専門家の手を借りず、いちから株式会社設立の手続きを自分でやった。
上司は確かに資本金を出してくれ、自身で代表取締役に収まったが現在の仕事の整理に半年くらいかかるから、自分が実際に退職して一緒に仕事をするのはしばらく後になるという話だった。私にとってそうしたことは不都合なことではなかった。そして浅草雷門近くに小さな事務所を借りた...。
しかし毎月の給料は出たものの半年経っても一年経っても彼が現在の会社を辞して私たちの元に来ることはなかったのである。
さすがに我々もこれはおかしいと思い始め、様々な話し合いをした上で結局彼と決別しその会社を辞めた。そしていろいろと就職活動をした上で事務の女性が辞めたばかりで社長ひとりしかいないという小さな貿易会社に就職したのである。
1977年初頭のことだった。
数年後、私は古巣の会社から...それも在職当時は話もできない雲の上の存在である常務取締役から思いもかけない電話があり、久しぶりに大会社のエントランスをくぐった。
これまで入ったこともない役員室に通され緊張したが、役員等の対応は丁寧で親切だった。しかしその場の話は驚くべき内容だった
手短にいえば昔の上司(当時は課長になっていた)は10年以上もの間、取引先を巻き込んで不正な金を受け取っていたとかで、その総額は膨大な額になっていたという。いわゆる業務上横領である。そしてそれが発覚した直後に自殺を企て失敗したそうだ...(私が呼ばれたときには入院中だったがその数年後に亡くなった)。
私が呼ばれたのは在職中彼の恩恵を受けていた一人として、しかし今では外部の人間として忌憚のない話を聞けるだろうという思惑からだったらしい。
特に社外での行動や金の使い方などに質問が集中したことを記憶している...。
無論その部署の全員には大変厳しい内部調査が入ったと聞く...。そして取引先の何人かの首が飛び、小さな会社数社が倒産したというまことしやかな話まで聞こえてきた。すでに30年近くにもなる昔の話だが会社による必死の口止めが功をそうしたからか、新聞沙汰にはならなかった。
確かに彼は尋常ではない金の使い方をしていた。そして後から思えばあれこれと思い当たるような事もあったが、当時はまったく疑うということを知らなかった...。
第一会社ならびに部署自体がそうした不正を長い間見抜けなかったのだから何をか況やであろう。
公私ともにこの上司には大変世話になったことは確かだが、私自身大企業を辞めるというその後の人生を大きく左右するきっかけを作った当事者でもあったわけで、私のショックはこれまた大変大きなものだったことはご想像いただけるものと思う。
バブルな時代だったからだろうか、私はこの上司の他にも二部上場企業の取引先担当が同じく業務上横領で免職されたケースにも出くわしたことがあり、その後は人を見る目が変わったと共に人物を見る眼を養うきっかけともなった。
良いところのお坊ちゃんという触れ込みだったその人物は取引関係者の1人として私を芸能人まで出演した盛大な結婚式に呼んでくれたが、その数ヶ月後に事が発覚して免職になったという。
確かに勢いがある人物だったもののその言動は一貫しておらず胡散臭さを感じる人物であった。
したがってその後自身が起業したとき、自分で言うのも変だがいわゆる"危ない" 会社や “あやしい”人物をセンサーのように判断する術には長けていたように思う(笑)。
つづく
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