日本刀の魅力
日本刀は基本的に心鉄(しんがね)、刃鉄(はがね)、皮鉄(かわがね)という性質の異なった3種類の鉄を鍛造し作られる。その結果よく斬れ、折れず、曲がらずを目指す日本刀ができあがる。しかしこの3つの要求は互いに矛盾するわけでありそこが名工の腕の見せ所となる。時代小説を書き、あらためて日本刀の魅力を再認識した。
日本刀は不思議である。確かに刀は武器として生まれ使われてきたわけだが熱田神宮などでは刀剣は御神体であり、また後に「武士の魂」とされた。
特に戦国時代以降、様々な武器が考案され使われてきた。鉄砲はもとより石、槍、弓、薙刀などがあり勿論、刀もそれに含まれる。しかしそうした多用な武器のなかでいわゆる日本刀は特別な存在として扱われてきたようだ。
ボストン美術館や東京国立博物館などで陳列された名刀を眺めたときに「武器がなぜこんなにもよい保存状態で残っているのか」と不思議に思った。勿論、現在博物館に展示されるようないわゆる名刀は作られた時代においても高価であったし大変貴重であり戦場で実際に使われることはなく、だからこそ無傷で現存しているのだろう。しかしほとんどの刀は戦国時代においては消耗品として朽ちていったはずだ。

※筆者の居合い用愛刀。刃渡り約76センチ、抜き身全体の重さは約930グラム
ともあれ実際刀がどのように使われたのかは歴史書を覗いてもあまりよく見えてこない。私たちの刀に対する認識はテレビや映画で映し出されるチャンバラを史実だと考えているフシがあるが、時代劇の刀による人斬りシーンはまずそのほとんどがウソだろう。
日本刀をフェンシングのように軽々と振り回すことができること自体がウソだし、だいたい徳川時代の半ば以降になれば幕末を除き、ほとんどの侍は本身で戦った事などなかったらしい。また映画やテレビではやたらと人を斬るが、本当のところ例えば侍が町人を斬ったとしてもその後の始末は厄介なものだったそうで、俸禄を失うことも多かったようだ。だからこそ元禄の太平下に起きた四十七士の討ち入りは大変なショックだったのだ。
ともあれ現代の私たちが持っている刀のイメージはこれまたかなり歴史の事実からは遠いものらしい。幕府が武家諸法度を定めるなどの体制化が進み、儒教的な道徳が作法として重んじられる時代になると日本刀は実用の道具・武器としての考え方を超えて武士たちの権威の象徴として意識されるようになる。したがって「武士の魂」となり、ブランドやその拵(こしらえ)すなわち刀の装飾は非常に重要なものになった。

※愛刀の柄部分。約25センチある
刀が歴史上どのように使われたのか、武器としての刀はどのような役割をはたしていたのかについては「刀と首取り」(平凡社新書~鈴木眞哉著)に詳しいので興味のある方は一読をお勧めする。
現在残された幾多の刀を図鑑などで見るとその全体的な拵の見事さはもとより目貫(めぬき)や頭(かしら)といった金属部分の作りやデザイン、そして鞘の塗りなどの素晴らしさに目を奪われると共に日本人の優れた美意識の一端を垣間見ることができる。

※愛刀の切っ先部分。刃入れはしていないが扱いを間違えると大怪我をする
現在の刀剣は当然の事ながら実用面ではなく美術的な面で評価されるが、刀も重要と供給という普遍の問題に無関係ではなく名工といわれる匠たちの作は少ないし高価だ。したがって古来から多くの悲喜劇を生むことになる。例えば「名刀の代名詞」ともいわれる"正宗(まさむね)"にも幾多の逸話がある。
一例だがあの奥州六十四万石の太守、伊達政宗がある日、登城すると話がたまたま刀剣におよんだ。「伊達殿の脇差は、定めし正宗でござろうな」と日ごろ反りのあわない加藤嘉明にいわれた。
名前の正宗を刀の正宗にかけた冗談だったのかも知れないがそこは負けずぎらいの正宗、意地でも「無論のことじゃ…」といわざるを得なかった。しかし実際に身につけていた脇差しは正宗ではなく京の信国であったという。
嘉明も戯れ言のつもりだったのか「しからば拝見させていただきたい...」とはいわなかったので正宗は恥をかかずに済んだ。ただし帰邸すると早速家来をよびだし「正宗の脇差があろうの」と問う。
「恐れながら正宗は大刀ばかりでござりまする」
「何?脇差しはないと申すか」
「はいっ」
「では、直ちに脇差になおせ」と一喝。
大切な正宗の大刀を脇差しにするなどもったいないし無茶だと言上したがそこは一徹の正宗。
「だまれっ! 六十四万石の大名が嘘をいえるか」
の一言でお抱え鍛冶に命じて、脇差に直させたという。
当時それだけ正宗が求められたということだが話はどうも胡散臭く、後世の作り話らしい.....(笑)。またそうそう名刀はないから贋作も多く出回ることになる。特に正宗は古来、無銘(銘を記していない)のものが多いといわれていたため都合がよく、作風が似ているものを探し出して銘を消せばたちどころに"無名正宗"が出来上がるという次第。
またいつの世も金次第で鑑定がころりと変わることもあっただろう。かなり以前石器の発掘に際して大変不名誉な事件が起きたが、いくら権威を笠にしても所詮は生身の人間のすること、そんなものであろう。
現在もプラダやヴィトンといったブランドバッグの偽物、それも販売店でも分からないような精巧なコピー商品が出回っているというがいつの世も同じである。
ともかく日本刀の面白さはブランドとその一振りの刀にまつわる来歴いうことになる。
「村正は血を見ねば鞘に納まらぬ」と呪いの妖刀とされた村正や「関の孫六」と大衆にも知られた孫六兼元などはそれこそ文学の世界でも多々登場し私たちの知るところとなっている。
その他知られているところでは「今宵の虎徹は血に飢えている」というセリフで有名な新撰組の近藤勇が愛用した虎徹も名刀中の名刀で知られていたが、本物の虎徹ではなかったという説もある。さらに同じく新撰組副長の土方歳三の愛刀といわれる和泉守兼定の2尺4寸5分の拵も素晴らしいものだ。
刀が好きな私は当然のように時代劇も好きである。特に池波正太郎の「剣客商売」や「鬼平犯科帳」は大好きで、何回も繰り返し読み続けている。
「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵にはあこがれるし「剣客商売」の主人公、秋山小兵衛の活躍には心躍るものがある。
長谷川平蔵は実在の人物だが小説によれば彼の愛刀は亡き父から譲られた粟田口国綱であり他に井上真改を使うこともある。
「…その、わずかな間隙に、長谷川平蔵は、亡父ゆずりの粟田口国綱二尺二寸九分の大刀を抜きはらうことを得たのである。『富田。見苦しいぞ!!』…」などと愛刀の名が登場する場面は圧巻である。
勿論そこに登場する刀は実在する名刀であることはいうまでもない。したがって平蔵が愛用している刀はどのようなものなのかを知りたくて「名工遺跡めぐり三三〇選」(雄山閣~福永酔剣著)などを斜め読みすることになる。そうすると自分でも鯉口を切り、名刀を"ぎらり"とやってみたい衝動にかられるがそんな時に私は居合いの真似事をする。
とはいえ私はまともな真剣を手にした経験はない。"まともな"と書いたのは少年の頃に切っ先から10cmほどの折れた日本刀を手に取ったことがある程度だから…。
その折れた部分を眺めると断面はパイ生地みたいに幾重にも層ができていたのが印象的だった。
私自身はといえば日本刀に対してかなりの興味と情熱を持っているつもりだが銃刀法による登録を面倒と思わないまでも、高価な真刀(本物の刀)を手元に置くことには至っていない。したがって現実には数振りの復刻刀で満足している。
復刻刀とは真刀を再現したもので長さや重さ、刃紋、反りや拵えまで再現したものだが先の銃刀法の規制により、刃の部分の焼き入れはしていない。
一般に復刻刀は部屋の飾りや居合いの練習などに使われているが私も自己流ながら居合いの真似事を楽しんでいる。居合いはストレス解消はもとより健康にも良いと考えているからだ。
面白いもので、この一振りを腰に差し、作法通りに抜き放そうとしても体調の悪いときには上手く抜けない。ましてやなるべく早く「抜く手もみせず」とするのはやはり至難の技である。
使う一振りは「五郎入道正宗」の復刻刀でありもう一振りは朱鞘(しゅさや)と呼ばれ文字通り朱塗りの鞘を持つ大小刀である。ちなみに朱鞘は登城などの正式の場では持ち得ないもので普段着のお洒落感覚の差料らしいが、特に幕末に流行ったとのこと。当時の武士達もいろいろと工夫しお洒落を楽しんだようだ。
【関連記事】
・NDL所蔵古書、プリントオンデマンドから「武士道」新渡戸稲造著を入手
・人生何度目かの「五輪書」を読む
・刀剣、特にその"拵(こしらえ)"の魅力
・市立米沢図書館発行「前田慶次道中日記」雑記
・私的な「十手と捕物帳」物語
【参考資料】
・「鬼平犯科帳~殺しの波紋」文春文庫~池波正太郎
・「刀と首取り」平凡社新書~鈴木眞哉
・「日本刀の鑑賞基礎知識」至文堂~小笠原信夫
・「江戸の刀剣拵コレクション」里文出版~井出正信
・「名工遺跡めぐり三三〇選」雄山閣~福永酔剣
・「入門 日本刀図鑑」光芸出版~得能一男
日本刀は不思議である。確かに刀は武器として生まれ使われてきたわけだが熱田神宮などでは刀剣は御神体であり、また後に「武士の魂」とされた。
特に戦国時代以降、様々な武器が考案され使われてきた。鉄砲はもとより石、槍、弓、薙刀などがあり勿論、刀もそれに含まれる。しかしそうした多用な武器のなかでいわゆる日本刀は特別な存在として扱われてきたようだ。
ボストン美術館や東京国立博物館などで陳列された名刀を眺めたときに「武器がなぜこんなにもよい保存状態で残っているのか」と不思議に思った。勿論、現在博物館に展示されるようないわゆる名刀は作られた時代においても高価であったし大変貴重であり戦場で実際に使われることはなく、だからこそ無傷で現存しているのだろう。しかしほとんどの刀は戦国時代においては消耗品として朽ちていったはずだ。

※筆者の居合い用愛刀。刃渡り約76センチ、抜き身全体の重さは約930グラム
ともあれ実際刀がどのように使われたのかは歴史書を覗いてもあまりよく見えてこない。私たちの刀に対する認識はテレビや映画で映し出されるチャンバラを史実だと考えているフシがあるが、時代劇の刀による人斬りシーンはまずそのほとんどがウソだろう。
日本刀をフェンシングのように軽々と振り回すことができること自体がウソだし、だいたい徳川時代の半ば以降になれば幕末を除き、ほとんどの侍は本身で戦った事などなかったらしい。また映画やテレビではやたらと人を斬るが、本当のところ例えば侍が町人を斬ったとしてもその後の始末は厄介なものだったそうで、俸禄を失うことも多かったようだ。だからこそ元禄の太平下に起きた四十七士の討ち入りは大変なショックだったのだ。
ともあれ現代の私たちが持っている刀のイメージはこれまたかなり歴史の事実からは遠いものらしい。幕府が武家諸法度を定めるなどの体制化が進み、儒教的な道徳が作法として重んじられる時代になると日本刀は実用の道具・武器としての考え方を超えて武士たちの権威の象徴として意識されるようになる。したがって「武士の魂」となり、ブランドやその拵(こしらえ)すなわち刀の装飾は非常に重要なものになった。

※愛刀の柄部分。約25センチある
刀が歴史上どのように使われたのか、武器としての刀はどのような役割をはたしていたのかについては「刀と首取り」(平凡社新書~鈴木眞哉著)に詳しいので興味のある方は一読をお勧めする。
現在残された幾多の刀を図鑑などで見るとその全体的な拵の見事さはもとより目貫(めぬき)や頭(かしら)といった金属部分の作りやデザイン、そして鞘の塗りなどの素晴らしさに目を奪われると共に日本人の優れた美意識の一端を垣間見ることができる。

※愛刀の切っ先部分。刃入れはしていないが扱いを間違えると大怪我をする
現在の刀剣は当然の事ながら実用面ではなく美術的な面で評価されるが、刀も重要と供給という普遍の問題に無関係ではなく名工といわれる匠たちの作は少ないし高価だ。したがって古来から多くの悲喜劇を生むことになる。例えば「名刀の代名詞」ともいわれる"正宗(まさむね)"にも幾多の逸話がある。
一例だがあの奥州六十四万石の太守、伊達政宗がある日、登城すると話がたまたま刀剣におよんだ。「伊達殿の脇差は、定めし正宗でござろうな」と日ごろ反りのあわない加藤嘉明にいわれた。
名前の正宗を刀の正宗にかけた冗談だったのかも知れないがそこは負けずぎらいの正宗、意地でも「無論のことじゃ…」といわざるを得なかった。しかし実際に身につけていた脇差しは正宗ではなく京の信国であったという。
嘉明も戯れ言のつもりだったのか「しからば拝見させていただきたい...」とはいわなかったので正宗は恥をかかずに済んだ。ただし帰邸すると早速家来をよびだし「正宗の脇差があろうの」と問う。
「恐れながら正宗は大刀ばかりでござりまする」
「何?脇差しはないと申すか」
「はいっ」
「では、直ちに脇差になおせ」と一喝。
大切な正宗の大刀を脇差しにするなどもったいないし無茶だと言上したがそこは一徹の正宗。
「だまれっ! 六十四万石の大名が嘘をいえるか」
の一言でお抱え鍛冶に命じて、脇差に直させたという。
当時それだけ正宗が求められたということだが話はどうも胡散臭く、後世の作り話らしい.....(笑)。またそうそう名刀はないから贋作も多く出回ることになる。特に正宗は古来、無銘(銘を記していない)のものが多いといわれていたため都合がよく、作風が似ているものを探し出して銘を消せばたちどころに"無名正宗"が出来上がるという次第。
またいつの世も金次第で鑑定がころりと変わることもあっただろう。かなり以前石器の発掘に際して大変不名誉な事件が起きたが、いくら権威を笠にしても所詮は生身の人間のすること、そんなものであろう。
現在もプラダやヴィトンといったブランドバッグの偽物、それも販売店でも分からないような精巧なコピー商品が出回っているというがいつの世も同じである。
ともかく日本刀の面白さはブランドとその一振りの刀にまつわる来歴いうことになる。
「村正は血を見ねば鞘に納まらぬ」と呪いの妖刀とされた村正や「関の孫六」と大衆にも知られた孫六兼元などはそれこそ文学の世界でも多々登場し私たちの知るところとなっている。
その他知られているところでは「今宵の虎徹は血に飢えている」というセリフで有名な新撰組の近藤勇が愛用した虎徹も名刀中の名刀で知られていたが、本物の虎徹ではなかったという説もある。さらに同じく新撰組副長の土方歳三の愛刀といわれる和泉守兼定の2尺4寸5分の拵も素晴らしいものだ。
刀が好きな私は当然のように時代劇も好きである。特に池波正太郎の「剣客商売」や「鬼平犯科帳」は大好きで、何回も繰り返し読み続けている。
「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵にはあこがれるし「剣客商売」の主人公、秋山小兵衛の活躍には心躍るものがある。
長谷川平蔵は実在の人物だが小説によれば彼の愛刀は亡き父から譲られた粟田口国綱であり他に井上真改を使うこともある。
「…その、わずかな間隙に、長谷川平蔵は、亡父ゆずりの粟田口国綱二尺二寸九分の大刀を抜きはらうことを得たのである。『富田。見苦しいぞ!!』…」などと愛刀の名が登場する場面は圧巻である。
勿論そこに登場する刀は実在する名刀であることはいうまでもない。したがって平蔵が愛用している刀はどのようなものなのかを知りたくて「名工遺跡めぐり三三〇選」(雄山閣~福永酔剣著)などを斜め読みすることになる。そうすると自分でも鯉口を切り、名刀を"ぎらり"とやってみたい衝動にかられるがそんな時に私は居合いの真似事をする。
とはいえ私はまともな真剣を手にした経験はない。"まともな"と書いたのは少年の頃に切っ先から10cmほどの折れた日本刀を手に取ったことがある程度だから…。
その折れた部分を眺めると断面はパイ生地みたいに幾重にも層ができていたのが印象的だった。
私自身はといえば日本刀に対してかなりの興味と情熱を持っているつもりだが銃刀法による登録を面倒と思わないまでも、高価な真刀(本物の刀)を手元に置くことには至っていない。したがって現実には数振りの復刻刀で満足している。
復刻刀とは真刀を再現したもので長さや重さ、刃紋、反りや拵えまで再現したものだが先の銃刀法の規制により、刃の部分の焼き入れはしていない。
一般に復刻刀は部屋の飾りや居合いの練習などに使われているが私も自己流ながら居合いの真似事を楽しんでいる。居合いはストレス解消はもとより健康にも良いと考えているからだ。
面白いもので、この一振りを腰に差し、作法通りに抜き放そうとしても体調の悪いときには上手く抜けない。ましてやなるべく早く「抜く手もみせず」とするのはやはり至難の技である。
使う一振りは「五郎入道正宗」の復刻刀でありもう一振りは朱鞘(しゅさや)と呼ばれ文字通り朱塗りの鞘を持つ大小刀である。ちなみに朱鞘は登城などの正式の場では持ち得ないもので普段着のお洒落感覚の差料らしいが、特に幕末に流行ったとのこと。当時の武士達もいろいろと工夫しお洒落を楽しんだようだ。
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・私的な「十手と捕物帳」物語
【参考資料】
・「鬼平犯科帳~殺しの波紋」文春文庫~池波正太郎
・「刀と首取り」平凡社新書~鈴木眞哉
・「日本刀の鑑賞基礎知識」至文堂~小笠原信夫
・「江戸の刀剣拵コレクション」里文出版~井出正信
・「名工遺跡めぐり三三〇選」雄山閣~福永酔剣
・「入門 日本刀図鑑」光芸出版~得能一男
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