ラテ飼育格闘日記(809)
今回の「ラテ飼育格闘日記」がアップされた2日後、すなわち6月6日は早くもラテの月命日3度目となる…。早いといえば早いが、ラテのいないこの3ヶ月はなんとも切なく寂しい3ヶ月である。買い物などのため外に出るとたまたま知り合いの飼い主さんと出会うこともあり「いかがですか。元気になられましたか」と問われることもある。
無論それはオトーサンの嘆き、落胆が大きいことを知り、気遣ってくださる言葉なのだが、ラテが亡くなりいなくなったことに慣れたわけでもないし慣れたいとも思わない。まあ正直やっと冷静に現実を見つめられるようになったことは確かだが、月日がたったとはいえオトーサンの心の中に占めるラテの存在は一層大きくなっている。

なにしろ15年もの間、24時間一緒に生活していたわけで、近隣の道筋といったことだけでなく例えば我が家のテーブル、椅子、フローリングの床、玄関マット、襖、畳、食器などなどに至るほとんどのアイテムにラテとの思い出が染み込んでいるのだから簡単に忘れるわけにはいかないし忘れたくない…。

しかし失ってみてその重要性や大切さが分かる…とはよく言われることだが、オトーサンたちにとってのラテは正しく亡くしてその可愛さ、賢さ、大切さなどなどを改めて知ることになったのは間違いない。
ラテやオトーサンが健康なときは毎日の散歩にしても餌やりにしても一種のルーチンワーク化されていた気配もなきにしもあらずだし、正直ときには面倒で厄介なことと思わざるを得ないこともあった。しかしそのひとつひとつのルーチンワークもいざ無くなってみるとこれほど充実し…意味のあることだったのだと改めて思っている。

さて先日のことだが、午前中に買い忘れた物品があったので夕刻軽い足慣らしを兼ねてと出かけた。出かけたといっても近隣の小さな公園を一回りしてそのまま買い物に…という安易な散歩だった。
オトーサンの格好はジャンパーを羽織り、キャップにマスクそしてサングラス、さらにステッキという格好だったが公園内には小学三年~五年生の男女が遊んでいた。
ラテを連れているときには間違いなく「ラテ、ラテ!」と近づいて来てくれる子供たちだったが、オトーサン一人で歩いている姿は特に注意を引くわけではないから気がつかずに通り過ぎる子供も多い。しかしそのときには一人の女子が「あれっ?」とオトーサンに注視してくれ「ラテは?」と聞いた…。
申し上げるまでもないがラテが亡くなった以後、お会いした近隣のワンコの飼い主さんたちには経過や事情をお話ししてあるものの子供たちにはわざわざ話しをする機会もなかったから、子供たちのほとんどはラテが亡くなったことなど知る由もない。

とはいっても嘘を言う必要もないが、特別リアルな話しも適当ではないと思ったオトーサンはなるべく驚かさないようにと思いつつ「おねーちゃんたちに沢山可愛がってもらったけど、ラテは三月に亡くなったんだよ」と淡々と答えた。
一瞬両目を見開いた女子はあんぐりと口を開けたその口で「ラテ死んだの?」と聞く。頷くオトーサンをそのままにその女子は公園で遊んでいる仲間の女子人に「ねえ、こっちに来て!」と声を上げた。
なにごとかと集まってきた女子たちに先の女の子は「ラテが…ラテ、死んだんだって」と呟くと女子たちだけでなく側にいた同年代の男子もふと立ち止まってオトーサンに「ほんと?」と聞く。皆、ラテと行き会わせるとわざわざ近寄って頭を撫でてくれる子供たちだった。
オトーサンは再び「うん、三月にね…」と答えるとどう反応したらよいのか分からない様子で男子たちは顔を顰めながら走り去ったが、女子のひとりはなんと両手を合わせて俯いているではないか…。

子供たちの前でもあるしと平静を装ってきたオトーサンだったが思わず泣きそうになったので「これまで可愛がってくれてありがとう」と礼を言いつつ足早にその場を離れた。
しかし何度も同じようなことを申し上げるが、ラテは近隣の子供たちに愛された幸せなワンコだった。そしてふと頭をよぎったことだが、オトーサンが子供時代に行き会った野良犬ブラッキーなどを時折懐かしく思い出すのと同様に、あの子供たちが成長し大人になっていく過程のどこかで「昔…ラテというワンコと遊んだ」ことを思い出してくれたら嬉しいと思いつつ公園を後にしたオトーサンは涙で前が見えず、しばしその場に立ちすくんでいた。
無論それはオトーサンの嘆き、落胆が大きいことを知り、気遣ってくださる言葉なのだが、ラテが亡くなりいなくなったことに慣れたわけでもないし慣れたいとも思わない。まあ正直やっと冷静に現実を見つめられるようになったことは確かだが、月日がたったとはいえオトーサンの心の中に占めるラテの存在は一層大きくなっている。

なにしろ15年もの間、24時間一緒に生活していたわけで、近隣の道筋といったことだけでなく例えば我が家のテーブル、椅子、フローリングの床、玄関マット、襖、畳、食器などなどに至るほとんどのアイテムにラテとの思い出が染み込んでいるのだから簡単に忘れるわけにはいかないし忘れたくない…。

しかし失ってみてその重要性や大切さが分かる…とはよく言われることだが、オトーサンたちにとってのラテは正しく亡くしてその可愛さ、賢さ、大切さなどなどを改めて知ることになったのは間違いない。
ラテやオトーサンが健康なときは毎日の散歩にしても餌やりにしても一種のルーチンワーク化されていた気配もなきにしもあらずだし、正直ときには面倒で厄介なことと思わざるを得ないこともあった。しかしそのひとつひとつのルーチンワークもいざ無くなってみるとこれほど充実し…意味のあることだったのだと改めて思っている。

さて先日のことだが、午前中に買い忘れた物品があったので夕刻軽い足慣らしを兼ねてと出かけた。出かけたといっても近隣の小さな公園を一回りしてそのまま買い物に…という安易な散歩だった。
オトーサンの格好はジャンパーを羽織り、キャップにマスクそしてサングラス、さらにステッキという格好だったが公園内には小学三年~五年生の男女が遊んでいた。
ラテを連れているときには間違いなく「ラテ、ラテ!」と近づいて来てくれる子供たちだったが、オトーサン一人で歩いている姿は特に注意を引くわけではないから気がつかずに通り過ぎる子供も多い。しかしそのときには一人の女子が「あれっ?」とオトーサンに注視してくれ「ラテは?」と聞いた…。
申し上げるまでもないがラテが亡くなった以後、お会いした近隣のワンコの飼い主さんたちには経過や事情をお話ししてあるものの子供たちにはわざわざ話しをする機会もなかったから、子供たちのほとんどはラテが亡くなったことなど知る由もない。

とはいっても嘘を言う必要もないが、特別リアルな話しも適当ではないと思ったオトーサンはなるべく驚かさないようにと思いつつ「おねーちゃんたちに沢山可愛がってもらったけど、ラテは三月に亡くなったんだよ」と淡々と答えた。
一瞬両目を見開いた女子はあんぐりと口を開けたその口で「ラテ死んだの?」と聞く。頷くオトーサンをそのままにその女子は公園で遊んでいる仲間の女子人に「ねえ、こっちに来て!」と声を上げた。
なにごとかと集まってきた女子たちに先の女の子は「ラテが…ラテ、死んだんだって」と呟くと女子たちだけでなく側にいた同年代の男子もふと立ち止まってオトーサンに「ほんと?」と聞く。皆、ラテと行き会わせるとわざわざ近寄って頭を撫でてくれる子供たちだった。
オトーサンは再び「うん、三月にね…」と答えるとどう反応したらよいのか分からない様子で男子たちは顔を顰めながら走り去ったが、女子のひとりはなんと両手を合わせて俯いているではないか…。

子供たちの前でもあるしと平静を装ってきたオトーサンだったが思わず泣きそうになったので「これまで可愛がってくれてありがとう」と礼を言いつつ足早にその場を離れた。
しかし何度も同じようなことを申し上げるが、ラテは近隣の子供たちに愛された幸せなワンコだった。そしてふと頭をよぎったことだが、オトーサンが子供時代に行き会った野良犬ブラッキーなどを時折懐かしく思い出すのと同様に、あの子供たちが成長し大人になっていく過程のどこかで「昔…ラテというワンコと遊んだ」ことを思い出してくれたら嬉しいと思いつつ公園を後にしたオトーサンは涙で前が見えず、しばしその場に立ちすくんでいた。