ラテ飼育格闘日記(752)
春は雨も多い…。天気の良き日はラテとの散歩も気持ちが良いが雨の日は憂鬱である。自分が濡れるのはほとんど気にならないが(程度によるけど)ラテを本格的に濡らしてしまうと後始末が実に大変だからだ。そして当然雨の日は傘を必要とするが、近年この傘を差すのも実に辛い。
使っている傘はいわゆるビニール傘だが直径が大きめのやつだ。それはラテと相合い傘なので小型の傘では役に立たないからだが、さらに風に強いようにと傘の骨がカーボン製のものを使っている。
透明のビニール傘であるのは当然のこと視界を塞がないようにとの安全配慮のためだが、一般的なビニール傘の欠点は壊れやすいことで、一度おちょこになれば使い物にならなくなってしまう。
その点、カーボン製の骨の傘はおちょこになっても折れたり壊れたりしにくいので愛用しているわけだが、オトーサンの手は基本腱鞘炎と加齢の合併で特に力を使う風の強い日などは柄を保持するのが辛いのだ。その上、もう片方の手には傘より力がいるラテのリードを保持するわけで、嗚呼…思っただけで嫌だ(笑)。
さらにさらに、夜ともなれば照明も必要だから小型で強力な懐中電灯を持参することになるわけで、これはもう苦行でしかない。
そんな風にときに大変な散歩だが、何度も記すもののラテと歩いているとなかなかの確率ですれ違う方々から声がかかる。
もともと年配の方の中には見知らぬ人に対しても「おはようございます」の挨拶をし合う方が多い。亡くなった大正生まれの母などは旅行に行っても触れ合う人たち誰彼構わずに声をかけるのでひやひやものだった(笑)。
そして他の地域は知らないがオトーサンが住んでいる地域もお若い方はともかく、年寄りは挨拶をする場合が多いようだ。オトーサンだって年寄りだが誰も彼もに対して無闇に声をかけることはしないものの同じマンションの住人とは挨拶を交わすように心がけているし相手から声をかけられれば丁寧にお返しする。
そしてこれまた当該日記に多々書いているが、ラテと散歩しているとオトーサンにというよりラテがいるからこそ様々な声がけをいただくことがある。
無言であってもラテを見て笑顔のままに通り過ぎていく方もいるが、それだけでもオトーサンは嬉しい。またラテが家から出て10分も歩いていないのに歩道に座り込んでいると必ずといって良いほど「あら、疲れちゃったのね」とか「早く帰してもらいなさいな」といった声がかかる。なんだかオトーサンが無理矢理歩かせているようだが、ラテは疲れたのでも帰りたいのでもないのだ(笑)。

※一休み中です
とはいえ人と人とは挨拶し合うのが自然でお互いに気持ちの良いことだが、ときにはそうでもないことも起きる。前記したように見も知らぬ方から「おはようございます」と声をかけてくださるのはそれがどなたであっても嬉しいことだが、覚えのない人から頭を下げられるのは…悩んでしまう。
例えば最近二十代後半ではないかと思われる男性から二度にわたり無言で頭を下げられた。
オトーサンは自分で言うのも烏滸がましいが、人の顔は記憶に留めておくことができると自負している。時に名前は失念しても会ったことがあるやなしやには自信があるが、その方には覚えがないのだ。

※先日8年ほどぶりにお会いしたご婦人。向こうは忘れていたようだがオトーサンは覚えていた
無論誰しも人違いや勘違い・間違いはあり得る。オトーサンも昔日本橋を歩いていて中年の男性と目が合った。名前はともかくよく見知っていると咄嗟に会釈をして通り過ぎたが、どうにも誰かは思い出せない。その夜だったかNHKのニュース番組の後で天気予報が始まったのだが、なんと日本橋で会った人はその気象予報士だったのだ(爆)。

※こちらは二年ぶりにであった女子。高校一年生になっていたがラテは差し出された手をペロリと舐めた
しかしオトーサンは有名人でも無ければTVに出ているわけでもないし散歩時にはキャップを被りマスクをしている。だから誰かと間違ったという可能性も大だが、同じ人から二度というのが気になるではないか。
また先日のこと不思議なことがあった。これまたラテと散歩時に前方から自転車に乗った老人(男性)がすれ違いざま「おめでとうございます」と頭を下げたのだ…。

※すれ違いざま「おめでとうございます」と頭を下げられた…?
勿論知らない方なのだから「こんにちは」でも変なのに「おめでとうございます」とは何ごとなのかとしばし頭を抱えてしまった。
咄嗟に回りを確認したが、オトーサンたち以外は誰もいない。
「こんにちは」というべきところを間違ったのか、失礼ながら痴呆症を患っている方なのかとも考えたが、一番あり得ることはオトーサンの聞き間違いだと思い、帰宅してから早速ウェアラブルカメラを確認してみた。

※しっかりと歩いています!
そして音声を確認してみたが、やはり「おめでとうございます」と言っている。
なぜ「おめでとうございます」なのか…などと考えても結論は出ないのだが、気になるではないか…。で、ふと頭をよぎったのはポジティブに考えるべきであのお年寄りはもしかしたら「福の神」かも…と思うことにした。であるならば…と、近年当たるはずもないからと買わなかった宝くじを買ってみた(爆)。
使っている傘はいわゆるビニール傘だが直径が大きめのやつだ。それはラテと相合い傘なので小型の傘では役に立たないからだが、さらに風に強いようにと傘の骨がカーボン製のものを使っている。
透明のビニール傘であるのは当然のこと視界を塞がないようにとの安全配慮のためだが、一般的なビニール傘の欠点は壊れやすいことで、一度おちょこになれば使い物にならなくなってしまう。
その点、カーボン製の骨の傘はおちょこになっても折れたり壊れたりしにくいので愛用しているわけだが、オトーサンの手は基本腱鞘炎と加齢の合併で特に力を使う風の強い日などは柄を保持するのが辛いのだ。その上、もう片方の手には傘より力がいるラテのリードを保持するわけで、嗚呼…思っただけで嫌だ(笑)。
さらにさらに、夜ともなれば照明も必要だから小型で強力な懐中電灯を持参することになるわけで、これはもう苦行でしかない。
そんな風にときに大変な散歩だが、何度も記すもののラテと歩いているとなかなかの確率ですれ違う方々から声がかかる。
もともと年配の方の中には見知らぬ人に対しても「おはようございます」の挨拶をし合う方が多い。亡くなった大正生まれの母などは旅行に行っても触れ合う人たち誰彼構わずに声をかけるのでひやひやものだった(笑)。
そして他の地域は知らないがオトーサンが住んでいる地域もお若い方はともかく、年寄りは挨拶をする場合が多いようだ。オトーサンだって年寄りだが誰も彼もに対して無闇に声をかけることはしないものの同じマンションの住人とは挨拶を交わすように心がけているし相手から声をかけられれば丁寧にお返しする。
そしてこれまた当該日記に多々書いているが、ラテと散歩しているとオトーサンにというよりラテがいるからこそ様々な声がけをいただくことがある。
無言であってもラテを見て笑顔のままに通り過ぎていく方もいるが、それだけでもオトーサンは嬉しい。またラテが家から出て10分も歩いていないのに歩道に座り込んでいると必ずといって良いほど「あら、疲れちゃったのね」とか「早く帰してもらいなさいな」といった声がかかる。なんだかオトーサンが無理矢理歩かせているようだが、ラテは疲れたのでも帰りたいのでもないのだ(笑)。

※一休み中です
とはいえ人と人とは挨拶し合うのが自然でお互いに気持ちの良いことだが、ときにはそうでもないことも起きる。前記したように見も知らぬ方から「おはようございます」と声をかけてくださるのはそれがどなたであっても嬉しいことだが、覚えのない人から頭を下げられるのは…悩んでしまう。
例えば最近二十代後半ではないかと思われる男性から二度にわたり無言で頭を下げられた。
オトーサンは自分で言うのも烏滸がましいが、人の顔は記憶に留めておくことができると自負している。時に名前は失念しても会ったことがあるやなしやには自信があるが、その方には覚えがないのだ。

※先日8年ほどぶりにお会いしたご婦人。向こうは忘れていたようだがオトーサンは覚えていた
無論誰しも人違いや勘違い・間違いはあり得る。オトーサンも昔日本橋を歩いていて中年の男性と目が合った。名前はともかくよく見知っていると咄嗟に会釈をして通り過ぎたが、どうにも誰かは思い出せない。その夜だったかNHKのニュース番組の後で天気予報が始まったのだが、なんと日本橋で会った人はその気象予報士だったのだ(爆)。

※こちらは二年ぶりにであった女子。高校一年生になっていたがラテは差し出された手をペロリと舐めた
しかしオトーサンは有名人でも無ければTVに出ているわけでもないし散歩時にはキャップを被りマスクをしている。だから誰かと間違ったという可能性も大だが、同じ人から二度というのが気になるではないか。
また先日のこと不思議なことがあった。これまたラテと散歩時に前方から自転車に乗った老人(男性)がすれ違いざま「おめでとうございます」と頭を下げたのだ…。

※すれ違いざま「おめでとうございます」と頭を下げられた…?
勿論知らない方なのだから「こんにちは」でも変なのに「おめでとうございます」とは何ごとなのかとしばし頭を抱えてしまった。
咄嗟に回りを確認したが、オトーサンたち以外は誰もいない。
「こんにちは」というべきところを間違ったのか、失礼ながら痴呆症を患っている方なのかとも考えたが、一番あり得ることはオトーサンの聞き間違いだと思い、帰宅してから早速ウェアラブルカメラを確認してみた。

※しっかりと歩いています!
そして音声を確認してみたが、やはり「おめでとうございます」と言っている。
なぜ「おめでとうございます」なのか…などと考えても結論は出ないのだが、気になるではないか…。で、ふと頭をよぎったのはポジティブに考えるべきであのお年寄りはもしかしたら「福の神」かも…と思うことにした。であるならば…と、近年当たるはずもないからと買わなかった宝くじを買ってみた(爆)。
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